タイの少数民族
少数民族
「シャム族」
「ルー族」 (タイ・ルー)
「ラオ族」
「アカ族」 (イコー)
「ラフ族」 (ムスー)
「リス族」 (リソー)
「カレン族」 (カリアン)
「首長族」 (カリヤン・コーヤオ)
「シャン族」 (タイヤイ)
「ラワ族」 (ワー)
「モン族」 (モン・クメール)
「チン・ホー」 (回族)
「シャム族」
「ルー族」 (タイ・ルー)
「ラオ族」
「アカ族」 (イコー)
「ラフ族」 (ムスー)
「リス族」 (リソー)
「カレン族」 (カリアン)
「首長族」 (カリヤン・コーヤオ)
「シャン族」 (タイヤイ)
「ラワ族」 (ワー)
「モン族」 (モン・クメール)
「チン・ホー」 (回族)
チェンライに巨大スーパー
チェンライにも巨大スーパー
タイには「デパート」は、日系の「大丸」、「伊勢丹」などを含めて、昔からあった。
スーパーも「JASCO」や「ヤオハン」などが進出してきた。
屋台店の集まりのような、「マーブンコーン・センター」など、タイ式のショッピング・センターもあった。
10年ほど前から、タイの経済成長を見込んで、
国際的流通資本が経営する「巨大スーパー・マーケット」が、タイにも進出してきた。
「BIG-C≪ビック・シー≫(仏系)」、「TESCO Lotus≪ロータッ≫(英系)」、
「Macro≪メコー≫(蘭系)」、「Carrefour≪カフー≫(仏系)」などが、全国的規模で店舗展開している。
「巨大スーパー」がやってきた。
2年前、県都チェンライ市の南はずれのハイウェイ沿いに、「BIG-C」が開店した。
全館冷房完備で、「エスカレーター」、「動く歩道」などもあり、もの珍しさもあって、今でも、若者たちのたまり場になっている。
開店後、まもなくして、店舗前の片側4車線の道路には、来客専用の大きな「横断歩道橋」までできた。県内でもっとも長い歩道橋である。
店舗は、1階の半分以上のスペースが駐車場で、そのほか、映画館(今では、県内唯一の映画館)、レストラン(KFC、MKなど)、その他テナントの売り場などがある。
2階は、一部はテナント・スペースがあるものの、大半のスペースが、スーパー「BIG-C」である。日本食品は、ほとんど売っていない(寿し売り場はある)が、パン売り場やパック入りの生鮮食品売り場は、日本のスーパーと、変わりがないように見える。
「セール」のチラシなども、日本と変らない。今年は、「BIG-C」がタイに開店して12周年にあたるとかで、上は、その「12%引きのバーゲン・セール」のチラシである。「黄緑」と「赤」が、「BIG-C」の「コーポレート・カラー」である。
「BIG-C」に続いて、
県都の北、チェンライ空港の取り付け道路の近くに、「Macro」が開店した。
こちらは、いわゆる「ハイパーマート」で、ホテル、レストラン、小売店などの「まとめ買い」をする客が相手である。一般客への小売もしていて、普通のスーパーと同じように利用できる。ただ、タイ人には、まとめ買いの習慣はなく、客の大半は、仕入れが目当ての人たちのようである。店内を、数台の商品を運ぶ「フォークリフト」が、動き回っていて、さすが「巨大スーパー」といった感じがする。
何といっても、「Macro」の最大の「売り」は、「冷凍食品」類の品ぞろえがいいことである。
「餃子」、「シュウマイ」、「枝まめ」、「ポテトチップス」など、たいていの「冷凍食品」がそろっている。さらに、各種肉類、魚類のカチカチの冷凍ものも手に入る。最近は、冷凍「鮭、鱒」のほか、「鯖」、「秋刀魚」、「シシャモ」や「真ダコ」、「マグロのさしみ」まで、売られている。
タイ産の鮮魚類も、「今出し」をねらえば、かなり新鮮で、刺身で食べることができる。
タイの「鯵」を塩にして、冷蔵庫に保管しておいたものは、「パ・トゥー」などとは、比べ物にならないほどおいしい。 塩鮭は、手に入らないが、「鯵」と同じように、塩をまぶして、1週間ほど冷蔵庫で寝かせると、「村上の天日干し」も真っ青というほどの味になる。値段の方も、日本並みか、やや安いかもしれない。
2005年10月には、国境の町「メサイ」の町外れ、バスターミナルの近くに、「TESCO Lotus」が開店した。
地元の商店街の「大反対」を強行突破して開店したもので、かなり自由に行き来できる「ミャンマー」からの客も当てにしていようだ。突如として、「巨大スーパー」が現れたのだ。
開店初日に出かけてみたが、初日ということもあって、大変な人出で店内に入るのも一苦労。通常であれば、店内への出入り口は、正面の1ヶ所だけだが、この日は、事故防止などのためか、裏側の狭い非常口が入り口になっており、正面が出口になっていた。
平屋の建物で、都会の店舗ほどには大きくないものの、駐車場スペースは大変広く、開店初日にもかかわらず、満車にはなっていなかった。やはり、商圏は狭いのだろうと思えた。
客層の半分以上が、ミャンマーからのようにも感じられた。当然、それを見越してであろう、店内のクーポン食堂のメニューなど、あちこちに、ビルマ文字が目に付く。
ミャンマー側の住民がチェンライの町に出ることは、難しいだろうから、彼らにとって、幼児用の遊戯施設やクーポン食堂などは、初めての体験にちぃがいない。今後も、ミャンマーからの客は多くなりそうである。
「BIG-C」や「メコー」の開店の時とがって、さまざまな商品が「開店記念バーゲン」価格で並んでいて、すでに、それらのバーゲン商品の棚は、あちこちで、空っぽになっていた。マーケッティング・テクニックは、日本のスーパーに近いように感じた。ただ、明らかに新鮮ではない、鮮魚や野菜類が無神経に陳列されているのが気になった。それに引き換え、雑貨類は、近在の商店や市場と比べ格安のものが多く、県北の商店にとっては、かなりの痛手かもしれない。一般消費者ばかりか、販売用の商品を仕入れに来たと思われる人たちも目に付いた。
2007年には,メチャン地区にも、大型スーパーがやってきた。
チェンライ市の街中には、以前から、田舎のスーパーはあった。
10年近く前からは、上記したように、外資系の超大型スーパーも作られはじめた。
それでも、チェンライ市内までは、片道50km近くはあって、たびたびは買い物にいけなかった。
それが、我が家から片道10kmほどのところに、予想以上に大きな都会のスーパーがやってきたわけである。
交通の便がよくなり、都会との往来も多くなった現在では、デパート並みのスーパーが近くに出来たからといって、それほど珍しくはなくなったが、財布の中身さえ潤沢であれば、先進国並みの商品が、簡単に手に入るようになったわけで、我が家のまわりの「縄文社会」も急速に変わっていくにちがいない。
衣食住など生活スタイルのグローバル化も進み、それなりに面白かった「縄文社会」も、やがては消滅していくにちがいないだろう。
タイには「デパート」は、日系の「大丸」、「伊勢丹」などを含めて、昔からあった。
スーパーも「JASCO」や「ヤオハン」などが進出してきた。
屋台店の集まりのような、「マーブンコーン・センター」など、タイ式のショッピング・センターもあった。
10年ほど前から、タイの経済成長を見込んで、
国際的流通資本が経営する「巨大スーパー・マーケット」が、タイにも進出してきた。
「BIG-C≪ビック・シー≫(仏系)」、「TESCO Lotus≪ロータッ≫(英系)」、
「Macro≪メコー≫(蘭系)」、「Carrefour≪カフー≫(仏系)」などが、全国的規模で店舗展開している。
「巨大スーパー」がやってきた。
2年前、県都チェンライ市の南はずれのハイウェイ沿いに、「BIG-C」が開店した。
全館冷房完備で、「エスカレーター」、「動く歩道」などもあり、もの珍しさもあって、今でも、若者たちのたまり場になっている。
開店後、まもなくして、店舗前の片側4車線の道路には、来客専用の大きな「横断歩道橋」までできた。県内でもっとも長い歩道橋である。
店舗は、1階の半分以上のスペースが駐車場で、そのほか、映画館(今では、県内唯一の映画館)、レストラン(KFC、MKなど)、その他テナントの売り場などがある。
2階は、一部はテナント・スペースがあるものの、大半のスペースが、スーパー「BIG-C」である。日本食品は、ほとんど売っていない(寿し売り場はある)が、パン売り場やパック入りの生鮮食品売り場は、日本のスーパーと、変わりがないように見える。
「セール」のチラシなども、日本と変らない。今年は、「BIG-C」がタイに開店して12周年にあたるとかで、上は、その「12%引きのバーゲン・セール」のチラシである。「黄緑」と「赤」が、「BIG-C」の「コーポレート・カラー」である。
「BIG-C」に続いて、
県都の北、チェンライ空港の取り付け道路の近くに、「Macro」が開店した。
こちらは、いわゆる「ハイパーマート」で、ホテル、レストラン、小売店などの「まとめ買い」をする客が相手である。一般客への小売もしていて、普通のスーパーと同じように利用できる。ただ、タイ人には、まとめ買いの習慣はなく、客の大半は、仕入れが目当ての人たちのようである。店内を、数台の商品を運ぶ「フォークリフト」が、動き回っていて、さすが「巨大スーパー」といった感じがする。
何といっても、「Macro」の最大の「売り」は、「冷凍食品」類の品ぞろえがいいことである。
「餃子」、「シュウマイ」、「枝まめ」、「ポテトチップス」など、たいていの「冷凍食品」がそろっている。さらに、各種肉類、魚類のカチカチの冷凍ものも手に入る。最近は、冷凍「鮭、鱒」のほか、「鯖」、「秋刀魚」、「シシャモ」や「真ダコ」、「マグロのさしみ」まで、売られている。
タイ産の鮮魚類も、「今出し」をねらえば、かなり新鮮で、刺身で食べることができる。
タイの「鯵」を塩にして、冷蔵庫に保管しておいたものは、「パ・トゥー」などとは、比べ物にならないほどおいしい。 塩鮭は、手に入らないが、「鯵」と同じように、塩をまぶして、1週間ほど冷蔵庫で寝かせると、「村上の天日干し」も真っ青というほどの味になる。値段の方も、日本並みか、やや安いかもしれない。
2005年10月には、国境の町「メサイ」の町外れ、バスターミナルの近くに、「TESCO Lotus」が開店した。
地元の商店街の「大反対」を強行突破して開店したもので、かなり自由に行き来できる「ミャンマー」からの客も当てにしていようだ。突如として、「巨大スーパー」が現れたのだ。
開店初日に出かけてみたが、初日ということもあって、大変な人出で店内に入るのも一苦労。通常であれば、店内への出入り口は、正面の1ヶ所だけだが、この日は、事故防止などのためか、裏側の狭い非常口が入り口になっており、正面が出口になっていた。
平屋の建物で、都会の店舗ほどには大きくないものの、駐車場スペースは大変広く、開店初日にもかかわらず、満車にはなっていなかった。やはり、商圏は狭いのだろうと思えた。
客層の半分以上が、ミャンマーからのようにも感じられた。当然、それを見越してであろう、店内のクーポン食堂のメニューなど、あちこちに、ビルマ文字が目に付く。
ミャンマー側の住民がチェンライの町に出ることは、難しいだろうから、彼らにとって、幼児用の遊戯施設やクーポン食堂などは、初めての体験にちぃがいない。今後も、ミャンマーからの客は多くなりそうである。
「BIG-C」や「メコー」の開店の時とがって、さまざまな商品が「開店記念バーゲン」価格で並んでいて、すでに、それらのバーゲン商品の棚は、あちこちで、空っぽになっていた。マーケッティング・テクニックは、日本のスーパーに近いように感じた。ただ、明らかに新鮮ではない、鮮魚や野菜類が無神経に陳列されているのが気になった。それに引き換え、雑貨類は、近在の商店や市場と比べ格安のものが多く、県北の商店にとっては、かなりの痛手かもしれない。一般消費者ばかりか、販売用の商品を仕入れに来たと思われる人たちも目に付いた。
2007年には,メチャン地区にも、大型スーパーがやってきた。
チェンライ市の街中には、以前から、田舎のスーパーはあった。
10年近く前からは、上記したように、外資系の超大型スーパーも作られはじめた。
それでも、チェンライ市内までは、片道50km近くはあって、たびたびは買い物にいけなかった。
それが、我が家から片道10kmほどのところに、予想以上に大きな都会のスーパーがやってきたわけである。
交通の便がよくなり、都会との往来も多くなった現在では、デパート並みのスーパーが近くに出来たからといって、それほど珍しくはなくなったが、財布の中身さえ潤沢であれば、先進国並みの商品が、簡単に手に入るようになったわけで、我が家のまわりの「縄文社会」も急速に変わっていくにちがいない。
衣食住など生活スタイルのグローバル化も進み、それなりに面白かった「縄文社会」も、やがては消滅していくにちがいないだろう。
タイの昆虫食
「タイの昆虫食」として、参考になりそうな資料は以下のとおりです。
『 昆虫食 』 Wikipedia
『 虫を食べるはなし 』 昆虫食( 農業共済新聞 )トップ・ページ
『 食虫トライアングル - インドシナ内陸の食虫地帯 』
『 タガメ食文化圏 - タイの”全国区 タガメとバッタ” 』 (メンダーなど)
『 雲南省の少数民族は虫が大好き 』 ( スズメバチ、タケツトガなど )
『 タイ・ラオスの食用昆虫 』 ( 抜粋・再編HTML版・文責、鈴木 )
「 タイ・ラオスの食用昆虫 」 ( 上記の原資料・PDF版 )
『 四川省の”遊んで食べる”ゾウムシ 』 (オオオサゾウムシ )
『 昆虫料理研究 』
『 日本の昆虫食 』
「飢饉」の時の「非常食」とか、重要な「蛋白源」とかいうのは、少なくとも、現在の北タイの食生活からは、考えられません。
野山で採れる「野菜類」と同じような普通の食材として食べられているようです。一部では養殖もされているとはいうものの、まとまって捕獲できるものでないと、食用にするというのは、なかなか難しいようです。
現在では、多くの昆虫類は、豚肉や鶏肉よりも高価なもので、珍味といっても差し支えない食材のようです。
それにしても、わが「縄文人」は、よく虫類を食べるようですが、珍味は口にしないと心に決めていて、味に関しては
実際にご自分で食べてみてください。感想をお待ちしております。
--------------------------------------------------------------------------------
(1) ロット・ドゥアン ( 急行列車 )
和名 : タケツトガ、または タケノメイガ( 幼虫 )
学名 : Omphisa fuscidentalis
北タイ名: เด ( デー )
または รถด่วน ( ロット・ドゥアン )
いきなり「芋虫」で、あとは見る気がうせるかもしれません。 若竹の中で、さなぎにまで成長するものだそうです。 この芋虫の唐揚げは、ほんのり「たけのこ」の香りがして美味しいという人もいるようですが・・・。
詳しくは、画像部分をクリックして、ご覧ください。
(2) メンマン
和名 : 山アリの一種?
学名 : (不詳)
北タイ名: แมงมัน ( メン・マン )
「アリの子」の中では、味覚の王者。
大きいものは、将来、羽アリになって飛び立つもので、中にごく少数の女王アリになるものも。小さいつぶつぶは、働きありになるものです。
成虫になった、羽蟻もまた食用に供されます。
詳しくは、画像部分をクリックして、ご覧ください。
(3) フンコロガシ ( スカラベの一種 )
和名 : フンコロガシ、ダイコクコガネの一種
学名 : Scarabaeus sacer (?)
Gymnopleurus かもしれない ?
北タイ名: ขี้เบ้า ( キイ・バオ )
牛糞などを粘土で練りこんだ、テニスボール大の玉の中に産卵し、その中でさなぎにまで成長するようです。タイ人でも、「キー・バオ(糞玉)」といって、食べない人の方が多いようです。
詳しくは、画像部分をクリックして、ご覧ください。
(4) チ・クン ( オオコオロギ )
和名 : タイワンオオコオロギ
学名 : (不詳)
北タイ名: จิ้กุง ( チ・クン )
「クン」というのは、「えび」のことです。えびに似た味がするのかもしれません。雨季中ころから、あちこちで、チクン堀りを見かけることが多くなります。
我が家では、庭のチクンを犬が堀り、あちこち穴だらけに・・・。親指ほどの大型のコオロギです。
詳しくは、画像部分をクリックして、ご覧ください。
(5) 蜂の子
和名 : スズメバチの幼虫
学名 : (不詳)
北タイ名: ต่อ ( トー )
市場などで売られている「蜂の子」は、スズメバチなどの大形の蜂のものがほとんどです。
昼間のうちに、巣のありかを確認し、夜間に出かけて、巣を煙でいぶして、巣盤ごととってくるのですが、それなりに危険な作業のようです。
(6) メンダー
和名 : タガメ ( タイワンタガメ )
学名 : Lethocerus indicus
北タイ名: แมงดา ( メンダー )
標準タイ名: แมงดานา ( メンダー・ナー )
見るからに「怪物」です。「タガメ」は、肉食の昆虫で、モエビ、小魚、昆虫類などを捕食しているものらしいです。誘蛾灯を使って捕まえるのですが、最近は、農薬などの影響か少なくなり、養殖もされているようです。
(7) 椰子のゾウムシ (ドン・マパーオ)
和名 : ヤシオオオサゾウムシ
学名 : Rhynchorus ferrugineus
北タイ名: ดงมะป้าว (ドン・マパーオ)
ヤシ科の植物で繁殖するゾウムシの一種です。成虫は、ツートン・カラーのおじさん風のシックないでたちをしておりますが、この虫に取りつかれた椰子の木は、やがて枯れてしまいます。日本の暖地でも、この虫による被害が確認されているようです。
(8) ケラ ( メン・チョン )
和名 : ケラ
学名 : Gryllotalpa africana
北タイ名: แมงจอน ( メン・チョン )
標準タイ名: จิ้งหรีด ( チン・リート )
「オケラ」は、子供のころの日本の田舎でも食用に捕獲された昆虫です。田植えの前の代掻きをしている田に出かけて行ってとったものです。タイでは、捕虫用の誘蛾灯に集まってきたものを捕まえるようです。
(9) ゲンゴロウ
和名 : ゲンゴロウ
学名 : Cybister japonicus
北タイ名: แมงเนิยง ( メン・ニヤン )
「ゲンゴロウ」も、肉食性の昆虫で、やはり、捕虫用の誘蛾灯に集まってくるものを捕獲するようです。乾煎りなどしたものの硬い羽をむしり取ってから食べるようです。
「源五郎」の名前の由来が知りたくなりますね。
(10) カイコの蛹 (さなぎ)
和名 : カイコの蛹 (さなぎ)
学名 : Bombyx mori
北タイ名: ตัวไหม ( トゥア・マイ )
その他、タイ人は赤アリ(モッソム)、コガネムシ(成虫・幼虫)、カミキリムシ、コオロギ、羽アリ(メン・マオ)、ヤゴ、ザザムシ(トビゲラの幼虫)バッタ・イナゴ、ゴキブリ、さそり、土蜘蛛(タランチュラ)などの昆虫を食べます。
皆さんも一度トライしてみてください。
現在、チェンライでは、養蚕農家も見られなくなり、市場で売られているものを買って食べるしかなくなりました。 カイコの繭を、絹糸に利用したあとは、繭の中のさなぎは、死んでしまうため、有効利用ということになるのかもしれません。日本でも、養蚕地帯で、かつては食用にされていたわけですが、今では、鯉釣りの餌くらいにしか利用されていないのでは・・・
『 昆虫食 』 Wikipedia
『 虫を食べるはなし 』 昆虫食( 農業共済新聞 )トップ・ページ
『 食虫トライアングル - インドシナ内陸の食虫地帯 』
『 タガメ食文化圏 - タイの”全国区 タガメとバッタ” 』 (メンダーなど)
『 雲南省の少数民族は虫が大好き 』 ( スズメバチ、タケツトガなど )
『 タイ・ラオスの食用昆虫 』 ( 抜粋・再編HTML版・文責、鈴木 )
「 タイ・ラオスの食用昆虫 」 ( 上記の原資料・PDF版 )
『 四川省の”遊んで食べる”ゾウムシ 』 (オオオサゾウムシ )
『 昆虫料理研究 』
『 日本の昆虫食 』
「飢饉」の時の「非常食」とか、重要な「蛋白源」とかいうのは、少なくとも、現在の北タイの食生活からは、考えられません。
野山で採れる「野菜類」と同じような普通の食材として食べられているようです。一部では養殖もされているとはいうものの、まとまって捕獲できるものでないと、食用にするというのは、なかなか難しいようです。
現在では、多くの昆虫類は、豚肉や鶏肉よりも高価なもので、珍味といっても差し支えない食材のようです。
それにしても、わが「縄文人」は、よく虫類を食べるようですが、珍味は口にしないと心に決めていて、味に関しては
実際にご自分で食べてみてください。感想をお待ちしております。
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(1) ロット・ドゥアン ( 急行列車 )
和名 : タケツトガ、または タケノメイガ( 幼虫 )
学名 : Omphisa fuscidentalis
北タイ名: เด ( デー )
または รถด่วน ( ロット・ドゥアン )
いきなり「芋虫」で、あとは見る気がうせるかもしれません。 若竹の中で、さなぎにまで成長するものだそうです。 この芋虫の唐揚げは、ほんのり「たけのこ」の香りがして美味しいという人もいるようですが・・・。
詳しくは、画像部分をクリックして、ご覧ください。
(2) メンマン
和名 : 山アリの一種?
学名 : (不詳)
北タイ名: แมงมัน ( メン・マン )
「アリの子」の中では、味覚の王者。
大きいものは、将来、羽アリになって飛び立つもので、中にごく少数の女王アリになるものも。小さいつぶつぶは、働きありになるものです。
成虫になった、羽蟻もまた食用に供されます。
詳しくは、画像部分をクリックして、ご覧ください。
(3) フンコロガシ ( スカラベの一種 )
和名 : フンコロガシ、ダイコクコガネの一種
学名 : Scarabaeus sacer (?)
Gymnopleurus かもしれない ?
北タイ名: ขี้เบ้า ( キイ・バオ )
牛糞などを粘土で練りこんだ、テニスボール大の玉の中に産卵し、その中でさなぎにまで成長するようです。タイ人でも、「キー・バオ(糞玉)」といって、食べない人の方が多いようです。
詳しくは、画像部分をクリックして、ご覧ください。
(4) チ・クン ( オオコオロギ )
和名 : タイワンオオコオロギ
学名 : (不詳)
北タイ名: จิ้กุง ( チ・クン )
「クン」というのは、「えび」のことです。えびに似た味がするのかもしれません。雨季中ころから、あちこちで、チクン堀りを見かけることが多くなります。
我が家では、庭のチクンを犬が堀り、あちこち穴だらけに・・・。親指ほどの大型のコオロギです。
詳しくは、画像部分をクリックして、ご覧ください。
(5) 蜂の子
和名 : スズメバチの幼虫
学名 : (不詳)
北タイ名: ต่อ ( トー )
市場などで売られている「蜂の子」は、スズメバチなどの大形の蜂のものがほとんどです。
昼間のうちに、巣のありかを確認し、夜間に出かけて、巣を煙でいぶして、巣盤ごととってくるのですが、それなりに危険な作業のようです。
(6) メンダー
和名 : タガメ ( タイワンタガメ )
学名 : Lethocerus indicus
北タイ名: แมงดา ( メンダー )
標準タイ名: แมงดานา ( メンダー・ナー )
見るからに「怪物」です。「タガメ」は、肉食の昆虫で、モエビ、小魚、昆虫類などを捕食しているものらしいです。誘蛾灯を使って捕まえるのですが、最近は、農薬などの影響か少なくなり、養殖もされているようです。
(7) 椰子のゾウムシ (ドン・マパーオ)
和名 : ヤシオオオサゾウムシ
学名 : Rhynchorus ferrugineus
北タイ名: ดงมะป้าว (ドン・マパーオ)
ヤシ科の植物で繁殖するゾウムシの一種です。成虫は、ツートン・カラーのおじさん風のシックないでたちをしておりますが、この虫に取りつかれた椰子の木は、やがて枯れてしまいます。日本の暖地でも、この虫による被害が確認されているようです。
(8) ケラ ( メン・チョン )
和名 : ケラ
学名 : Gryllotalpa africana
北タイ名: แมงจอน ( メン・チョン )
標準タイ名: จิ้งหรีด ( チン・リート )
「オケラ」は、子供のころの日本の田舎でも食用に捕獲された昆虫です。田植えの前の代掻きをしている田に出かけて行ってとったものです。タイでは、捕虫用の誘蛾灯に集まってきたものを捕まえるようです。
(9) ゲンゴロウ
和名 : ゲンゴロウ
学名 : Cybister japonicus
北タイ名: แมงเนิยง ( メン・ニヤン )
「ゲンゴロウ」も、肉食性の昆虫で、やはり、捕虫用の誘蛾灯に集まってくるものを捕獲するようです。乾煎りなどしたものの硬い羽をむしり取ってから食べるようです。
「源五郎」の名前の由来が知りたくなりますね。
(10) カイコの蛹 (さなぎ)
和名 : カイコの蛹 (さなぎ)
学名 : Bombyx mori
北タイ名: ตัวไหม ( トゥア・マイ )
その他、タイ人は赤アリ(モッソム)、コガネムシ(成虫・幼虫)、カミキリムシ、コオロギ、羽アリ(メン・マオ)、ヤゴ、ザザムシ(トビゲラの幼虫)バッタ・イナゴ、ゴキブリ、さそり、土蜘蛛(タランチュラ)などの昆虫を食べます。
皆さんも一度トライしてみてください。
現在、チェンライでは、養蚕農家も見られなくなり、市場で売られているものを買って食べるしかなくなりました。 カイコの繭を、絹糸に利用したあとは、繭の中のさなぎは、死んでしまうため、有効利用ということになるのかもしれません。日本でも、養蚕地帯で、かつては食用にされていたわけですが、今では、鯉釣りの餌くらいにしか利用されていないのでは・・・
タイの国王賛歌
国王讃歌
タイの国歌とも言われている、「国王讃歌( Royal anthem )」 は
เพลงสรรเสริญพระบารมี ( Phleng Sansasoen Phra Barami ) といいます。
前世紀初め頃から、王朝4代にわたって使われてきた曲です。
「国歌」と「讃歌」は、公式の場では、内規によって、使い分けられているそうです。
国王や王族が、外国から賓客を迎えるときなどには、「讃歌」が演奏され、国王のご臨席のある行事などでも「讃歌」が演奏されるようです。また、映画館でも、本番が始まる前に、国王行幸の映像とともに「讃歌」が流され、この間は観客はすべて直立して、拝聴することになっております。
個人的には、元気がいい、にぎやかな「国歌」よりもこちらの方が、気に入っていますが、なにしろ、「君が代」とは比較にならないほど、難解な「雅語」が多く使われていて、歌詞の意味を理解するのは大変です。
原曲は、1872年(仏暦2415年)に作詞作曲されたものだそうです。
作曲者は、19世紀に西洋音楽指南役として来タイしていたロシア人の音楽家、ピョートル・シュロフスキー( Pyotr Schurovsky )で、タイでは、 เฮวุดเซน または ยู เซน ( Heutsen, Huvitzen, Hudson )などと呼ばれていたそうです。
原詞の作者は、ラーマ3世の王子 ナリサラー・ヌワットティウォング殿下(กรมพระยานริศรานุวัดติวงศ์)ですが、のちに、1913年(仏暦2456年)ころ、ラーマ6世、ワチラウット=モンクット王 ( พระบาทสมเด็จพระมงกุฎเกล้าเจ้าอยู่หัว )が、改訂したものが、現在は、使われているそうです。
ข้า วรพุทธ เจ้า
Khaa wooraPhutta Chao
国王陛下さま (国王、王族など高位の貴人に奏上する場合の冒頭のきまり文句)
เอามโนและศิระกราน นบพระภูมิบาลบุญญะดิเรก
Aumanolaeshirakraan Nophrapumibaan bun ya direk
平伏低頭して、敬意を表し、守護者であらせられる陛下に合掌拝礼いたします
เอก บรมะ จักริน พระสยามินทร์ พระยศะ ยิ่งยง
Ek baroma Chakarin PraSayamin Prayosa jing yong
偉大なるチャックリ王朝、サイヤム国の至高の位にあらせられます
เย็นศิระเพราะพระ บริบาล ผลพระคุณ ธ รักษา
YenShiraprauPra baribaan PonPrakun ta raksa
国王陛下のご加護のお蔭で、平穏でいられます
ปวงประชาเป็นสุขศานต์ ขอบันดาล ธ ประสงค์ใด
Puwongprachapensuksaan Kho bandaan ta prasongdai
国王陛下の、思し召しと、御ちからで、臣民すべてに幸福と平安を御授けください。
จง สฤษดิ์ดัง วังวรหฤทัย
Chong saritdang wangwaraharutai
大御心の、輝かしい御名声が鳴りひびくことを、御祈念いたします。
ดุจ ถวาย ชัย ไชโย
Ducha tawai chai chaiyoh
国王陛下、万歳!
【参考・英文訳 ( by Wikipedia )】
I, slave of lord Buddha, put myheart and my head to his feet, to pay him respect and give him blessing, the protector of the country, one of the chakri dynasty, the leader of the Thai people, the highest by rank, who protected and guided me. All people are happy and live in peace. We pray, that whatever your wishes may be, that destiny shall give you, as you wish in your heart, to give you wealth. We hail you.
「国王讃歌」 楽譜
タイの国歌とも言われている、「国王讃歌( Royal anthem )」 は
เพลงสรรเสริญพระบารมี ( Phleng Sansasoen Phra Barami ) といいます。
前世紀初め頃から、王朝4代にわたって使われてきた曲です。
「国歌」と「讃歌」は、公式の場では、内規によって、使い分けられているそうです。
国王や王族が、外国から賓客を迎えるときなどには、「讃歌」が演奏され、国王のご臨席のある行事などでも「讃歌」が演奏されるようです。また、映画館でも、本番が始まる前に、国王行幸の映像とともに「讃歌」が流され、この間は観客はすべて直立して、拝聴することになっております。
個人的には、元気がいい、にぎやかな「国歌」よりもこちらの方が、気に入っていますが、なにしろ、「君が代」とは比較にならないほど、難解な「雅語」が多く使われていて、歌詞の意味を理解するのは大変です。
原曲は、1872年(仏暦2415年)に作詞作曲されたものだそうです。
作曲者は、19世紀に西洋音楽指南役として来タイしていたロシア人の音楽家、ピョートル・シュロフスキー( Pyotr Schurovsky )で、タイでは、 เฮวุดเซน または ยู เซน ( Heutsen, Huvitzen, Hudson )などと呼ばれていたそうです。
原詞の作者は、ラーマ3世の王子 ナリサラー・ヌワットティウォング殿下(กรมพระยานริศรานุวัดติวงศ์)ですが、のちに、1913年(仏暦2456年)ころ、ラーマ6世、ワチラウット=モンクット王 ( พระบาทสมเด็จพระมงกุฎเกล้าเจ้าอยู่หัว )が、改訂したものが、現在は、使われているそうです。
ข้า วรพุทธ เจ้า
Khaa wooraPhutta Chao
国王陛下さま (国王、王族など高位の貴人に奏上する場合の冒頭のきまり文句)
เอามโนและศิระกราน นบพระภูมิบาลบุญญะดิเรก
Aumanolaeshirakraan Nophrapumibaan bun ya direk
平伏低頭して、敬意を表し、守護者であらせられる陛下に合掌拝礼いたします
เอก บรมะ จักริน พระสยามินทร์ พระยศะ ยิ่งยง
Ek baroma Chakarin PraSayamin Prayosa jing yong
偉大なるチャックリ王朝、サイヤム国の至高の位にあらせられます
เย็นศิระเพราะพระ บริบาล ผลพระคุณ ธ รักษา
YenShiraprauPra baribaan PonPrakun ta raksa
国王陛下のご加護のお蔭で、平穏でいられます
ปวงประชาเป็นสุขศานต์ ขอบันดาล ธ ประสงค์ใด
Puwongprachapensuksaan Kho bandaan ta prasongdai
国王陛下の、思し召しと、御ちからで、臣民すべてに幸福と平安を御授けください。
จง สฤษดิ์ดัง วังวรหฤทัย
Chong saritdang wangwaraharutai
大御心の、輝かしい御名声が鳴りひびくことを、御祈念いたします。
ดุจ ถวาย ชัย ไชโย
Ducha tawai chai chaiyoh
国王陛下、万歳!
【参考・英文訳 ( by Wikipedia )】
I, slave of lord Buddha, put myheart and my head to his feet, to pay him respect and give him blessing, the protector of the country, one of the chakri dynasty, the leader of the Thai people, the highest by rank, who protected and guided me. All people are happy and live in peace. We pray, that whatever your wishes may be, that destiny shall give you, as you wish in your heart, to give you wealth. We hail you.
「国王讃歌」 楽譜
タイの食習慣
「タイの食習慣」 (キンカオ)
タイ王国の主要民族を、ひとまとめにして「タイ人」と呼ぶのが普通ですが、数百年前かそれ以前に南下して現在の地に住み着いた中部や南部のタイ人と、北タイや東北タイのタイ人とは、風俗・習慣もかなり異なるものがあり、今では、言語などは、同系とはいえ、言語学的にも異なる言語に分類されるほどです。
中部や南部のタイ人も、出自が同じ「タイ系民族」なわけですから、かつては、ほとんど同じような生活文化を持っていた人たちでしょうが、先住の「モン・クメール文化」や「マレー・インドネシア文化」などの影響を強く受けるとともに、インドや中近東などの影響も大きく、人種的にも、これらの文化圏の人たちとの混血により、現在に到ったものと思われます。
そのようなわけで、北タイと中部タイの間には、食習慣上のちがいも大きいのが現状です。
lannaworld.com の WEBサイトで見かけた記事を参考に、北タイの食習慣について紹介したいと思います。
キンカーオ( กินเข้า )
一般的にタイの人たちは、食事をすることを、「 キン・カーオ 」 ( กินเข้า )といいます。
中部タイなどでは、「 ラッパ・ターン・アーハン ( รับประทานอาหาร )」といいます。
食事どき前後に、「 キン・カーオ・ラ?( 食事済んだ? )」というのが、挨拶言葉になっています。
主食・副食
主食は、蒸したもち米( เข้าหนึ้ง หรือข้าวนึ่ง )です。
おかずのことを、「コン・キン( ของกิน )」、「コン・クヮイ( ของไขว่ )」、「カム・キン( คำกิน )」などといい、「ケーン( แกง )」、「ナムプリック( น้ำพริก )」、「ヤム( ยำ )」、「タム( ตำ )」、「サー( ส้า )」、「ラープ( ลาบ )」、「クア( ขั้ว )」などがありますが、中でも、「ケーン」、「ナムプリック」は、毎食欠かさず食卓に登場するおかずです。
食事どき
ランナー・タイでも、一日3回食事をとります。( ミャンマーでは、2回というのがふつうのようです。)
朝食を「カオ・ガーイ( เข้างาย )」、昼食を、「カオ・トーン( เข้าตอน )」、夕食は、「カオ・レーン( เข้าแลง )」といいます。
「ガーイ(朝)」、「トーン(昼)」、「レーン(夕)」という単語は、中部タイでは、古語扱いされているようです。
食事をする場所
昔から食事は家屋のそと( ชานเรือน )、すなわち、庭先きでするのが普通でした。
来客のある場合は、高床式住宅のベランダ( เติ๋น )が居間を兼ねた客室の役割を果たしており、来客には、ここで食事が振舞われるのが慣例でした。
客の食事に、同席すできるのは、ホスト役の主人だけで、そのほかの家族が客と一緒に食事をするということはありません。特に、女性や子供が同席するということはまったくなかったようです。女性は、給仕役ということになっているのでしょう。小生も、客として当地を訪れていたころは、女性や子供が食事をするところを見たことがありませんでした。
最近では、家族が食事をする場所も、ダイニング・キッチン風に台所が食事の場所になっていることも多いようですが、やはり、よほど親しい間柄でもない限り、客には別の場所を提供するのがエチケットのようです。
食卓・食器など
土間やベランダなどに、茣蓙を敷いて、その上に食器を並べて、座って食事をするのが普通でしたが、最近では、テーブルを使う家も多くなったようです。
- カントーク卓( ขันโตก または、サトーク:สะโตก )
木製(豪華なものは漆塗り)または、籐製の高さ20cmほどの円形の食卓で、サイズは、直径30cmくらいから1m近いものまであります。大勢そろって食事を取る習慣がありますので、一般には、「銘々膳」というのはないようです。
カントーク卓は、裕福な家庭や客用の食卓としても使われていたようですが、最近は、テーブル・椅子といった食事スタイルが多くなり、「観光用レストラン」くらいでしか、お目にかかれなくなってしまいました。
- どんぶり・深皿( ถ้วยแกง )、単に、トイ( ถ้วย )ともいい、主として汁けの多いケーンなどに使われる「どんぶり」ですが、最近は、プラスチック製が主流になってきたようです。
- 平皿( ถ้วยแบน ) チャーン( จาน )、またはチャーム( ชาม )ともいい、琺瑯びきの金属製のものやプラスチック製の皿で、炒め物、揚げ物、生野菜など、汁けのない料理や、ときには、主食のおこわを盛り付けるのに使われているようです。
どんぶりにしても、皿にしても、おかずが銘々に盛り付けられることはありません。麺類などを除いて、2,3人で一皿というのが普通です。
- 箸( ตะเกียบ )・スプーン( ช้อน )・フォーク( ซ่อม )
箸はクイティオなどの麺類でしか使われません。
また、スプーン・フォークのセットというのも、カオ・パット(チャーハン)、カオ・マン・カイ(鶏めし)など、北タイの固有の料理ではない場合だけに使われ、通常は、箸などのかわりに「手」を使って食事をします。
中部タイなどでは、「手」で食事をするということはなくなり、スプーン・フォークのセットが常用されています。
以前は、スプーンは、節を生かした竹製または椰子の実の殻が使われていたそうですが、最近では金属製の中華スプーンに取って代わられ見かけなくなってしまいました。
汁気の多いケーンの汁をすするために使われる(慣れてくれば、ケーンの汁は、スプーンなしで味わうことができる。)ほか、味の調整用 ( ケーン は、薄めの味でしあげてあって、どんぶりに盛ってから、好みに応じてナンプラーを追加し、味を調整します。この際、どんぶりの中身をかき混ぜるのに使うのですが、毎度のように、ナンプラーを追加しているのを見て、この人たち料理の味見はしないのかと思いましたが、気遣いの意味もあるようで、気にしないことにしました。) とか、ケーンの具の 「天地返し」 に使われます。(これは、面白い習慣で、ケーンの表面に食べたい具がなくなってきたとき、どんぶりの中身をかき混ぜて、下の方にある具をゴソゴソと取り出します。 少々、品のない行為のように感じましたが、普通のようです。)
スプーンは、各どんぶりにひとつだけということが多く、同じスプーンを交代で使うことが多く、結婚式や葬式などで、戸惑いを見せる小生には、同席の人が気をきかしてくれて、小生専用のスプーンを用意してくれることもあります。
銘々皿に小分けして盛り付けられる日本の食事風景とは異なりますが、昔の 「汎家族主義」 の名残なのでしょう。気にする人はいないようです。
そうはいうものの、手で食べる食事方法にも、それなりにエチケットというのはあるわけで、大勢で食べあうわけで、汁気の料理のなかに、直接指を突っ込むような品のないない食べ方は嫌われることになります。
食事を同席するということは、「同じ釜の飯」 あるいは、それ以上の間柄ということになるのでしょう。小生と同席した人の中には、「日本人と一緒に飯を食ったゾ」と、喜んで言いふらしている人もあるくらいです。
- 飯籠( กล่องข้าว )
かつては、蒸したもち米は、竹または椰子の葉で編んだ小さな飯籠(2,3人用)に小分けして供されるのが普通でしたが、現在では、蒸しあがった「おこわ」は、飯台の上で、蒸気を飛ばしたあと、プラスチック製の大型の魔法瓶のような保温容器( กระติกน้ำ )にうつされ、必要な分量だけ、皿にもって出されることが多いようです。結婚式などでは、小さなビニール袋に入れて、一人分づつ出されるのが普通です。
食時の作法
まず、食事の前に欠かせない礼儀として、「手をよく洗う」ということがあります。「手」で食事をし、しかも、ひとつの皿やどんぶりに盛られたおかずを、2,3人で共有するわけですから、不潔な手で食事をするということは、大変失礼なことになります。
また、家族で食事をする場合、食べ始める順番というのがあります。年長者・両親が、まず食べ始め、それから、子供たちが食べ始めるのが、礼儀にかなった食事方法です。テーブルに料理が並んでも、年長者が席に着かないと、家族のみんなが迷惑することになります。
さらに、客と同席する場合は、客が「手」をつけるのを待つのが礼儀です。
もし客が遠慮して待ていると、出された料理が気に入らなくて食べられないのではないかと、要らぬ心配をかけることになるかもしれません。
食事の席での座り方
茣蓙などに座る場合ですが、エチケットに沿った座り方というのがあります。
以下のようなものです。
胡坐(あぐら); ナン・コッタワーイ ( นั่งขดถวาย )といいます。この座り方は、男性専用で、僧侶や役人の正座は、必ずこの座り方になります。女性の胡坐(あぐら)は非礼ということになっているのは、日本と同じです。
横座り; ナン・モー・メー ( นั่งหม้อแหม้ )または、ポー・レ・メー ( ป้อหละแหม้ )といいます。
片方の足を、胡坐(あぐら)のように曲げ、足の裏を上にして座り、その足の先(足の裏)にもう一方の膝あたりをのせるようにして、後ろにまわして座ります。「にじり座り」とも呼ばれるようです。
女性専用の正座ですが、仏事や高位高官の前では、男性もこの座り方になります。
慣れないと、座った状態で背筋を真っ直ぐにするのが難しいので、体が傾いたほうの手を床につけることもあるようです。また、足がしびれて困ることが多いですが、随時、左右の足を入れ替えることは問題ないようです。
長時間座らされる場合は、日本式の正座よりは、いくらか楽かもしれません。
立ち膝座り; ナン・ヨーン・コ ( นั่งหย่องเขาะ้ )、ヨーン・ヨ ( หย่องเหยาะ้ )などといいます。
いわゆる「ウンチング・スタイル」です。野山などで食事をする場合など、座る場所がなく、やむを得ずこんな座り方で食事をとることがありますが、礼儀正しい座り方ではないことは言うまでもありません。昔の兵士は、食事をする場合、この座り方で食事を取ったそうです。いつ敵が攻めてきても、すぐに立ち上がることができるのが、この座り方だそうです。
かつて、日本でも職人などは、こんな座り方で食事をとったもののようです。
片膝立て座り; ナン・ポック・フア・カオ ( นั่งปกหัวเข่า้ )といいます。
高齢者など、足腰が弱っている場合にのみ許される座り方で、肉体的に問題がある場合には、儀式などでも許されるのですが、やはり、一般には、非礼な座り方になります。
かつて、日本では職人などは、こんな座り方で食事をとったもののようです。
おこわの食べ方の作法
おこわは、カオ・ヌン ( ข้าวนึ่ง )といいますが、中部タイなどでは、カオ・ニオウ ( ข้าวเหนียว )というようです。おこわは、手にとって食べるのですが、手を洗うときに洗剤など使うと、蒸したもち米がベタベタと手にくっついてしまい、行儀が悪くなります。それを防ぐには、揚げ物や炒め物などの油気のあるおかずを少しだけ手にとってこすりつけると、手にくっつかなくなります。適当なおかずがない場合には、食用油を一滴使うなどということもあるようです。
まず、おこわが盛られている容器に近いほうの手で、一握りつかみ出します。遠い方の手を使おうとすると、体を大きくひねらなければならないため、非礼になります。
そのあと、利き手に一口分をわけ、握って丸めます。大きすぎるのは、非礼になります。
このとき、握り方が不十分だと、おこわをケーンの汁に浸したときに崩れてしまい、大変失礼なことになってしまいます。
握ったおこわは、ケーンの汁に浸したり、おかずをつまむのにも使われるのですが、慣れないと、指まで汁の中に浸してしまい、これまた非礼ということになります。慣れないうちは、ケーンの汁やおかずには、スプーンを使うのが無難かと思われます。
かくいう私は、家での食事は箸とスプーンで済ませております。箸を使わないと、食べた気がしないのも、その理由ではありますが・・・。
食事中にしてはいけないこと
食事というのは、人生の中でも大変重要な行為で、北タイの家庭では、やむを得ない事情がない限り、家族全員がそろって食事をとる習慣があります。
年長者は、食事の作法を通じて、子供たちに範を示し、食べ物にありつけた天恵に感謝する気持ちを伝えてきました。
人生のなかでも、このように重要な位置づけにある食事中に、してはならないことというきまりごとがあります。多くは、きわめて常識的なことですが、以下のようなことは、厳禁されています。
・ オナラをすること
・ 口にしたものを吐き出すこと
ただし、北タイの食事風景には、調理しながら食べるみたいなところがあって、肉や魚の骨、野菜などの
硬くて食べられないものなどの場合は、口に入れたものを吐き出しても、大目にみられているようです。
・ ふざけあうこと
・ 喧嘩すること
・ 大声で喋ること
・ 大笑いすること
食事中あまりお喋りをしない静かな食事風景は、日本と似たところがあるようです。
・ スプーンや皿を打ち鳴らすこと
・ すっかりなくなるまでケーンをすくいとること
おかずが底をつきかける前に補充するのが給仕係りの大事な役目です。
まだ食事が終わらないうちに、皿やドンンブリなどが、空になるのをいやがるようです。
・ 食事中に他人の陰口を言うこと
・ 食事が終わって、食いすぎたと嘆くのは、ほどほどを知らないバカということに。
ただ、”ごちそうさま”という意味で、「イム・レーオ(満腹しました)」ということはあるようです。
食事が終了したものは、静かに立ち上がって、食後の水を飲みに行き、手を洗います。
全員食事が終了すると、子供たちや高齢者、食事の準備をしなかったものが、後片付けをし、残った食べ物は、量が多ければ、食器棚や冷蔵庫にしまいます。 ( 我が家では、後片付けは、子供たちの仕事と決まっていて、男性陣は、準備はおろか後片付けもしないで「関白」ぶりを発揮しております。)
いつ何時、来客などがあっても、食事を振舞えるように、2,3人分のおかずは、余計に作っておくのがしきたりで、余ることが多いのですが、次回に食べることができないものや、少量の残飯は、家畜や養魚の餌用に片付けるのが普通のようです。
食事が済むと、大人たちは、あるものは、ミヤン(噛み茶)を噛み、タバコを一服ということになりますが、最近は、時代の流れで喫煙しないものも多くなり、それに連れて、ミヤンも廃れてきたようです。かつては、マーク(キンマ)を噛むものもいたようですが、今では滅多に見られない習慣になってしまいました。
余談ですが、「キン・マーク」を試してみたい方は、メサイの市場のタイヤイのオバサンたちの売り場の一角で、若いお嬢さんが店だししていますので、話のタネに是非。
タイ王国の主要民族を、ひとまとめにして「タイ人」と呼ぶのが普通ですが、数百年前かそれ以前に南下して現在の地に住み着いた中部や南部のタイ人と、北タイや東北タイのタイ人とは、風俗・習慣もかなり異なるものがあり、今では、言語などは、同系とはいえ、言語学的にも異なる言語に分類されるほどです。
中部や南部のタイ人も、出自が同じ「タイ系民族」なわけですから、かつては、ほとんど同じような生活文化を持っていた人たちでしょうが、先住の「モン・クメール文化」や「マレー・インドネシア文化」などの影響を強く受けるとともに、インドや中近東などの影響も大きく、人種的にも、これらの文化圏の人たちとの混血により、現在に到ったものと思われます。
そのようなわけで、北タイと中部タイの間には、食習慣上のちがいも大きいのが現状です。
lannaworld.com の WEBサイトで見かけた記事を参考に、北タイの食習慣について紹介したいと思います。
キンカーオ( กินเข้า )
一般的にタイの人たちは、食事をすることを、「 キン・カーオ 」 ( กินเข้า )といいます。
中部タイなどでは、「 ラッパ・ターン・アーハン ( รับประทานอาหาร )」といいます。
食事どき前後に、「 キン・カーオ・ラ?( 食事済んだ? )」というのが、挨拶言葉になっています。
主食・副食
主食は、蒸したもち米( เข้าหนึ้ง หรือข้าวนึ่ง )です。
おかずのことを、「コン・キン( ของกิน )」、「コン・クヮイ( ของไขว่ )」、「カム・キン( คำกิน )」などといい、「ケーン( แกง )」、「ナムプリック( น้ำพริก )」、「ヤム( ยำ )」、「タム( ตำ )」、「サー( ส้า )」、「ラープ( ลาบ )」、「クア( ขั้ว )」などがありますが、中でも、「ケーン」、「ナムプリック」は、毎食欠かさず食卓に登場するおかずです。
食事どき
ランナー・タイでも、一日3回食事をとります。( ミャンマーでは、2回というのがふつうのようです。)
朝食を「カオ・ガーイ( เข้างาย )」、昼食を、「カオ・トーン( เข้าตอน )」、夕食は、「カオ・レーン( เข้าแลง )」といいます。
「ガーイ(朝)」、「トーン(昼)」、「レーン(夕)」という単語は、中部タイでは、古語扱いされているようです。
食事をする場所
昔から食事は家屋のそと( ชานเรือน )、すなわち、庭先きでするのが普通でした。
来客のある場合は、高床式住宅のベランダ( เติ๋น )が居間を兼ねた客室の役割を果たしており、来客には、ここで食事が振舞われるのが慣例でした。
客の食事に、同席すできるのは、ホスト役の主人だけで、そのほかの家族が客と一緒に食事をするということはありません。特に、女性や子供が同席するということはまったくなかったようです。女性は、給仕役ということになっているのでしょう。小生も、客として当地を訪れていたころは、女性や子供が食事をするところを見たことがありませんでした。
最近では、家族が食事をする場所も、ダイニング・キッチン風に台所が食事の場所になっていることも多いようですが、やはり、よほど親しい間柄でもない限り、客には別の場所を提供するのがエチケットのようです。
食卓・食器など
土間やベランダなどに、茣蓙を敷いて、その上に食器を並べて、座って食事をするのが普通でしたが、最近では、テーブルを使う家も多くなったようです。
- カントーク卓( ขันโตก または、サトーク:สะโตก )
木製(豪華なものは漆塗り)または、籐製の高さ20cmほどの円形の食卓で、サイズは、直径30cmくらいから1m近いものまであります。大勢そろって食事を取る習慣がありますので、一般には、「銘々膳」というのはないようです。
カントーク卓は、裕福な家庭や客用の食卓としても使われていたようですが、最近は、テーブル・椅子といった食事スタイルが多くなり、「観光用レストラン」くらいでしか、お目にかかれなくなってしまいました。
- どんぶり・深皿( ถ้วยแกง )、単に、トイ( ถ้วย )ともいい、主として汁けの多いケーンなどに使われる「どんぶり」ですが、最近は、プラスチック製が主流になってきたようです。
- 平皿( ถ้วยแบน ) チャーン( จาน )、またはチャーム( ชาม )ともいい、琺瑯びきの金属製のものやプラスチック製の皿で、炒め物、揚げ物、生野菜など、汁けのない料理や、ときには、主食のおこわを盛り付けるのに使われているようです。
どんぶりにしても、皿にしても、おかずが銘々に盛り付けられることはありません。麺類などを除いて、2,3人で一皿というのが普通です。
- 箸( ตะเกียบ )・スプーン( ช้อน )・フォーク( ซ่อม )
箸はクイティオなどの麺類でしか使われません。
また、スプーン・フォークのセットというのも、カオ・パット(チャーハン)、カオ・マン・カイ(鶏めし)など、北タイの固有の料理ではない場合だけに使われ、通常は、箸などのかわりに「手」を使って食事をします。
中部タイなどでは、「手」で食事をするということはなくなり、スプーン・フォークのセットが常用されています。
以前は、スプーンは、節を生かした竹製または椰子の実の殻が使われていたそうですが、最近では金属製の中華スプーンに取って代わられ見かけなくなってしまいました。
汁気の多いケーンの汁をすするために使われる(慣れてくれば、ケーンの汁は、スプーンなしで味わうことができる。)ほか、味の調整用 ( ケーン は、薄めの味でしあげてあって、どんぶりに盛ってから、好みに応じてナンプラーを追加し、味を調整します。この際、どんぶりの中身をかき混ぜるのに使うのですが、毎度のように、ナンプラーを追加しているのを見て、この人たち料理の味見はしないのかと思いましたが、気遣いの意味もあるようで、気にしないことにしました。) とか、ケーンの具の 「天地返し」 に使われます。(これは、面白い習慣で、ケーンの表面に食べたい具がなくなってきたとき、どんぶりの中身をかき混ぜて、下の方にある具をゴソゴソと取り出します。 少々、品のない行為のように感じましたが、普通のようです。)
スプーンは、各どんぶりにひとつだけということが多く、同じスプーンを交代で使うことが多く、結婚式や葬式などで、戸惑いを見せる小生には、同席の人が気をきかしてくれて、小生専用のスプーンを用意してくれることもあります。
銘々皿に小分けして盛り付けられる日本の食事風景とは異なりますが、昔の 「汎家族主義」 の名残なのでしょう。気にする人はいないようです。
そうはいうものの、手で食べる食事方法にも、それなりにエチケットというのはあるわけで、大勢で食べあうわけで、汁気の料理のなかに、直接指を突っ込むような品のないない食べ方は嫌われることになります。
食事を同席するということは、「同じ釜の飯」 あるいは、それ以上の間柄ということになるのでしょう。小生と同席した人の中には、「日本人と一緒に飯を食ったゾ」と、喜んで言いふらしている人もあるくらいです。
- 飯籠( กล่องข้าว )
かつては、蒸したもち米は、竹または椰子の葉で編んだ小さな飯籠(2,3人用)に小分けして供されるのが普通でしたが、現在では、蒸しあがった「おこわ」は、飯台の上で、蒸気を飛ばしたあと、プラスチック製の大型の魔法瓶のような保温容器( กระติกน้ำ )にうつされ、必要な分量だけ、皿にもって出されることが多いようです。結婚式などでは、小さなビニール袋に入れて、一人分づつ出されるのが普通です。
食時の作法
まず、食事の前に欠かせない礼儀として、「手をよく洗う」ということがあります。「手」で食事をし、しかも、ひとつの皿やどんぶりに盛られたおかずを、2,3人で共有するわけですから、不潔な手で食事をするということは、大変失礼なことになります。
また、家族で食事をする場合、食べ始める順番というのがあります。年長者・両親が、まず食べ始め、それから、子供たちが食べ始めるのが、礼儀にかなった食事方法です。テーブルに料理が並んでも、年長者が席に着かないと、家族のみんなが迷惑することになります。
さらに、客と同席する場合は、客が「手」をつけるのを待つのが礼儀です。
もし客が遠慮して待ていると、出された料理が気に入らなくて食べられないのではないかと、要らぬ心配をかけることになるかもしれません。
食事の席での座り方
茣蓙などに座る場合ですが、エチケットに沿った座り方というのがあります。
以下のようなものです。
胡坐(あぐら); ナン・コッタワーイ ( นั่งขดถวาย )といいます。この座り方は、男性専用で、僧侶や役人の正座は、必ずこの座り方になります。女性の胡坐(あぐら)は非礼ということになっているのは、日本と同じです。
横座り; ナン・モー・メー ( นั่งหม้อแหม้ )または、ポー・レ・メー ( ป้อหละแหม้ )といいます。
片方の足を、胡坐(あぐら)のように曲げ、足の裏を上にして座り、その足の先(足の裏)にもう一方の膝あたりをのせるようにして、後ろにまわして座ります。「にじり座り」とも呼ばれるようです。
女性専用の正座ですが、仏事や高位高官の前では、男性もこの座り方になります。
慣れないと、座った状態で背筋を真っ直ぐにするのが難しいので、体が傾いたほうの手を床につけることもあるようです。また、足がしびれて困ることが多いですが、随時、左右の足を入れ替えることは問題ないようです。
長時間座らされる場合は、日本式の正座よりは、いくらか楽かもしれません。
立ち膝座り; ナン・ヨーン・コ ( นั่งหย่องเขาะ้ )、ヨーン・ヨ ( หย่องเหยาะ้ )などといいます。
いわゆる「ウンチング・スタイル」です。野山などで食事をする場合など、座る場所がなく、やむを得ずこんな座り方で食事をとることがありますが、礼儀正しい座り方ではないことは言うまでもありません。昔の兵士は、食事をする場合、この座り方で食事を取ったそうです。いつ敵が攻めてきても、すぐに立ち上がることができるのが、この座り方だそうです。
かつて、日本でも職人などは、こんな座り方で食事をとったもののようです。
片膝立て座り; ナン・ポック・フア・カオ ( นั่งปกหัวเข่า้ )といいます。
高齢者など、足腰が弱っている場合にのみ許される座り方で、肉体的に問題がある場合には、儀式などでも許されるのですが、やはり、一般には、非礼な座り方になります。
かつて、日本では職人などは、こんな座り方で食事をとったもののようです。
おこわの食べ方の作法
おこわは、カオ・ヌン ( ข้าวนึ่ง )といいますが、中部タイなどでは、カオ・ニオウ ( ข้าวเหนียว )というようです。おこわは、手にとって食べるのですが、手を洗うときに洗剤など使うと、蒸したもち米がベタベタと手にくっついてしまい、行儀が悪くなります。それを防ぐには、揚げ物や炒め物などの油気のあるおかずを少しだけ手にとってこすりつけると、手にくっつかなくなります。適当なおかずがない場合には、食用油を一滴使うなどということもあるようです。
まず、おこわが盛られている容器に近いほうの手で、一握りつかみ出します。遠い方の手を使おうとすると、体を大きくひねらなければならないため、非礼になります。
そのあと、利き手に一口分をわけ、握って丸めます。大きすぎるのは、非礼になります。
このとき、握り方が不十分だと、おこわをケーンの汁に浸したときに崩れてしまい、大変失礼なことになってしまいます。
握ったおこわは、ケーンの汁に浸したり、おかずをつまむのにも使われるのですが、慣れないと、指まで汁の中に浸してしまい、これまた非礼ということになります。慣れないうちは、ケーンの汁やおかずには、スプーンを使うのが無難かと思われます。
かくいう私は、家での食事は箸とスプーンで済ませております。箸を使わないと、食べた気がしないのも、その理由ではありますが・・・。
食事中にしてはいけないこと
食事というのは、人生の中でも大変重要な行為で、北タイの家庭では、やむを得ない事情がない限り、家族全員がそろって食事をとる習慣があります。
年長者は、食事の作法を通じて、子供たちに範を示し、食べ物にありつけた天恵に感謝する気持ちを伝えてきました。
人生のなかでも、このように重要な位置づけにある食事中に、してはならないことというきまりごとがあります。多くは、きわめて常識的なことですが、以下のようなことは、厳禁されています。
・ オナラをすること
・ 口にしたものを吐き出すこと
ただし、北タイの食事風景には、調理しながら食べるみたいなところがあって、肉や魚の骨、野菜などの
硬くて食べられないものなどの場合は、口に入れたものを吐き出しても、大目にみられているようです。
・ ふざけあうこと
・ 喧嘩すること
・ 大声で喋ること
・ 大笑いすること
食事中あまりお喋りをしない静かな食事風景は、日本と似たところがあるようです。
・ スプーンや皿を打ち鳴らすこと
・ すっかりなくなるまでケーンをすくいとること
おかずが底をつきかける前に補充するのが給仕係りの大事な役目です。
まだ食事が終わらないうちに、皿やドンンブリなどが、空になるのをいやがるようです。
・ 食事中に他人の陰口を言うこと
・ 食事が終わって、食いすぎたと嘆くのは、ほどほどを知らないバカということに。
ただ、”ごちそうさま”という意味で、「イム・レーオ(満腹しました)」ということはあるようです。
食事が終了したものは、静かに立ち上がって、食後の水を飲みに行き、手を洗います。
全員食事が終了すると、子供たちや高齢者、食事の準備をしなかったものが、後片付けをし、残った食べ物は、量が多ければ、食器棚や冷蔵庫にしまいます。 ( 我が家では、後片付けは、子供たちの仕事と決まっていて、男性陣は、準備はおろか後片付けもしないで「関白」ぶりを発揮しております。)
いつ何時、来客などがあっても、食事を振舞えるように、2,3人分のおかずは、余計に作っておくのがしきたりで、余ることが多いのですが、次回に食べることができないものや、少量の残飯は、家畜や養魚の餌用に片付けるのが普通のようです。
食事が済むと、大人たちは、あるものは、ミヤン(噛み茶)を噛み、タバコを一服ということになりますが、最近は、時代の流れで喫煙しないものも多くなり、それに連れて、ミヤンも廃れてきたようです。かつては、マーク(キンマ)を噛むものもいたようですが、今では滅多に見られない習慣になってしまいました。
余談ですが、「キン・マーク」を試してみたい方は、メサイの市場のタイヤイのオバサンたちの売り場の一角で、若いお嬢さんが店だししていますので、話のタネに是非。
タイの郵便制度
タイと日本の郵便局の大きなちがいは、タイの郵便局では、郵貯や簡易保険業務を扱っておりません。
さらに、田舎の郵便局でも、日本の特定郵便局のように、主だった職員は、土地の有力者が世襲的にその職についているなどということもないようです。
タイの郵便事業は、19世紀の終わりころから始まり、長い間、政府機関の一部として、郵便・電信電話事業を行ってきましたが、1997年、政府直轄機関の「通信公社(CAT)」として分離され、2003年には、日本よりひと足先に、電信電話事業と別々に民営化されました。現在、「タイ郵便株式会社 ( Thailand Post Company Limited. )」 として、なかば独占的に郵便事業を行っています。
さて、本題のタイの「郵便番号」ですが、タイの郵便番号は、ごく一部を除いて、郵便物の配達を行っている郵便局ごとに割り当てられた5桁の番号になっております。
したがって、郵便物の宛名の「郵便番号」は、配達区域管轄の郵便局の番号ということになります。
タイには、現在郵便番号を割り当てられている正規の郵便局が、1200局ほどあるそうですが、これ以外に、契約で郵便局の代行をしている民間の機関が、3000ヵ所ほどあるらしいです。
ちなみに、郵便ポストは、全国のすべての町(タンボン)内のすべての地区(ムー・バーン)に1ヶ所は設置されております。
郵便番号を「ラハット・プライサニー(郵便局暗号)」といいます。
以下に、主な郵便番号を表示してありますが、5桁の上1桁は、北部、中部、南部などの広域行政区域に準じた番号付けになっています。
また、下3桁が000の郵便局は、各県ごとに置かれている地方の中央郵便局 に相当する基幹郵便局 で、OCR装置が設置されていて、管轄内の郵便局あての自動仕分けがされているようです。基幹の中央郵便局だけは、土日も休まず営業しているようです。
バンコク都内の主な郵便番号
バンコク中央郵便局 (กรุงเทพมหานคร ) 10000
ドンムアン空港郵便局 (ดอนเมือง )
10001
ラクシー中央郵便局 (หลักสี่ ) 10002
パップラーチャイヤ郵便局 (พลับพลาไชย ) 10100
ヤーナワー郵便局 (ยานนาวา ) 10120
パパデーン郵便局 (พระประแดง ) 10130
ラートブーラナ郵便局 (ราษฎร์บูรณะ ) 10140
バーンクンティアン郵便局 (บางขุนเทียน ) 10150
パシーチャルーン郵便局 (ภาษีเจริญ ) 10160
タリンチャン郵便局 (ตลิ่งชัน ) 10170
パナコン郵便局 (พระนคร ) 10200
ラクシー郵便局 (หลักสี่ ) 10210
ラームインター郵便局 (รามอินทรา ) 10220
チャラケーブア郵便局 (จรเข้บัว ) 10230
コンチャン郵便局 (คลองจั่น ) 10240
オーンヌット郵便局 (อ่อนนุช ) 10250
バーンナー郵便局 (บางนา ) 10260
サムッパーカーン郵便局
(เมืองสมุทรปราการ ) 10270
パサムッチェディ郵便局 (พระสมุทรเจดีย์ ) 10290
ドゥシット郵便局 (ดุสิต ) 10300
ラートパーウ郵便局 (ลาดพร้าว ) 10310
パトゥムワン郵便局 (ปทุมวัน ) 10330
サームセーンナイ郵便局 (สามเสนใน ) 10400
バーンラック郵便局 (บางรัก ) 10500
ミーンブリー郵便局 (มีนบุรี ) 10510
ラートカバン郵便局 (ลาดกระบัง ) 10520
ノンチョーク郵便局 (หนองจอก ) 10530
バーンピー郵便局 (บางพลี ) 10540
バーンボー郵便局 (บางบ่อ ) 10560
サムレー郵便局 (สำเหร ) 10600
ナーンコークノイ郵便局 (บางกอกน้อย ) 10700
バーンスー郵便局 (บางซื่อ ) 10800
チャトチャク郵便局 (จตุจักร ) 10900
バンコク近郊の主な郵便番号
ノンタブリー郵便局 (เมืองนนทบุรี ) 11000
パトゥムターニー郵便局 (เมืองปทุมธานี ) 12000
アユッタヤー郵便局 (พระนครศรีอยุธยา ) 13000
アーントーン郵便局 (เมืองอ่างทอง ) 14000
ロッブリー郵便局 (เมืองลพบุรี ) 15000
シンブリー郵便局 (เมืองสิงห์บุรี ) 16000
チャイナート郵便局 (เมืองชัยนาท ) 17000
サラブリー郵便局 (เมืองสระบุรี ) 18000
タイ東部の主な郵便番号
チョンブリー郵便局 (เมืองชลบุรี ) 20000
ラヨーン郵便局 (เมืองระยอง ) 21000
チャンタブリー郵便局 (เมืองจันทบุรี ) 22000
トラート郵便局 (เมืองตราด ) 23000
チャチュンサーオ郵便局 (เมืองฉะเชิงเทรา ) 24000
プラチーンブリー郵便局 (เมืองปราจีนบุรี ) 25000
ナコンナヨーク郵便局 (เมืองนครนายก ) 26000
サケーオ郵便局 (เมืองสระแก้ว ) 27000
タイ中西部の主な郵便番号
ラーブリー郵便局 (เมืองราชบุรี ) 70000
カンチャナブリー郵便局 (เมืองกาญจนบุรี ) 71000
スパンブリー郵便局 (เมืองสุพรรณบุรี ) 72000
ナコンパトム郵便局 (เมืองนครปฐม ) 73000
サムッサコーン郵便局 (เมืองสมุทรสาคร ) 74000
サムッソンクラーム郵便局 (สมุทรสงคราม ) 75000
ペッブリー郵便局 (เมืองเพชรบุรี ) 76000
パチャップキリカーン郵便局 (ประจวบคีรีขันธ์ ) 77000
タイ東北部の主な郵便番号
ナコンラーチャシーマー郵便局 (นครราชสีมา ) 30000
ブリーラム郵便局 (เมืองบุรีรัมย์ ) 31000
スリン郵便局 (เมืองสุรินทร์ ) 32000
シーサケット郵便局 (เมืองศีรสะเกษ ) 33000
ウボンラーチャタニー郵便局 (อุบลราชธานี ) 34000
ヤソトーン郵便局 (เมืองยโสธร ) 35000
チャヤプーム郵便局 (เมืองชัยภูมิ ) 36000
アムナートチャルーン郵便局 (อำนาจเจริญ ) 37000
ノンブアラムプー郵便局 (หนองบัวลำภู ) 39000
コンケーン郵便局 (เมืองขอนแก่น ) 40000
ウドンタニー郵便局 (เมืองอุดรธานี ) 41000
ルーイ郵便局 (เมืองเลย ) 42000
ノンカーイ郵便局 (เมืองหนองคาย ) 43000
マハッサーラカーム郵便局 (มหาสารคาม ) 44000
ロイエット郵便局 (เมืองร้อยเอ็ด ) 45000
カーラシン郵便局 (เมืองกาฬสินธุ์ ) 46000
サコンナコン郵便局 (เมืองสกลนคร ) 47000
ナコンパノム郵便局 (เมืองนครพนม ) 48000
ムクダーハーン郵便局 (เมืองมุกดาหาร ) 49000
タイ北部の主な郵便番号
チェンマイ中央郵便局 (เมืองเชียงใหม่ ) 50000
ラムプーン郵便局 (เมืองลำพูน ) 51000
ラムパーン郵便局 (เมืองลำปาง ) 52000
ウッタラディット郵便局 (เมืองอุตรดิตถ์ ) 53000
プレー郵便局 (เมืองแพร่ ) 54000
ナーン郵便局 (เมืองน่าน ) 55000
パヤオ郵便局 (เมืองพะเยา ) 56000
メホンソーン郵便局 (เมืองแม่ฮ่องสอน ) 58000
ナコンサワン郵便局 (เมืองนครสวรรค์ ) 60000
ウタイターニー郵便局 (เมืองอุทัยธานี ) 61000
カンペーンペット郵便局 (เมืองกำแพงเพชร ) 62000
ターク郵便局 (เมืองตาก ) 63000
スコータイ郵便局 (เมืองสุโขทัย ) 64000
ピサヌローク郵便局 (เมืองพิษณุโลก ) 65000
ピチット郵便局 (เมืองพิจิตร ) 66000
ペチャブン郵便局 (เมืองเพชรบูรณ์ ) 67000
チェンライ県内の郵便番号
チェンライ中央郵便局
(เมืองเชียงราย ) 57000 -
バーン・ドゥー郵便局 ( บ้านดู ) 57100
ต.ริมกก แม่ข้าวต้ม แม่ยาว นางแล ท่าสุด
メチャン郵便局 (แม่จัน ) 57110 แม่ฟ้าหลวง ดอยหลวง
パーン郵便局 (พาน ) 57120 -
メサーイ郵便局 (แม่สาย ) 57130 -
チェンコン郵便局 (เชียงของ ) 57140 -
チェンセン郵便局 (เชียงแสน ) 57150 -
トゥーン郵便局 (เทิง ) 57160 -
ウィアンパパオ郵便局 (เวียงป่าเป้า ) 57170 -
メースワイ郵便局 (แม่สรวย ) 57180 -
パーデット郵便局 (ป่าแดด ) 57190 -
ウィアンチャイ郵便局 (เวียงชัย ) 57210 เวียงเชียงรุ้ง
フエカイ郵便局 (ห้วยไคร้ ) 57220
ต.ห้วยไคร้ บ้านด้าย
プローン郵便局 (ปล้อง ) 57230
ต.เชียงเคี่ยน ปล้อง แม่ลอย ศรีดอนชัย หนองแรด
メーカム郵便局 (แม่คำ ) 57240
ต.แม่คำ แม่ไร่ เทอดไทย
メーラーオ郵便局 (แม่ลาว ) 57250 ต.ธารทอง
メーチェディ郵便局 ( แม่เจดีย์ ) 57260
ต.แม่เจดีย์ แม่เจดีย์ใหม่ เวียงกาหลง
チャンチャワ郵便局 ( จันจว้า ) 57270
ต.จันจว้าใต้ จันจว้า
メーイェン郵便局 ( แม่เย็น ) 57280
ต.แม่เย็น ทานตะวัน
パヤメンライ郵便局 (พญาเม็งราย ) 57290 -
ウィエンケン郵便局 (เวียงแก่น ) 57310 -
クンターン郵便局 (ขุนตาล ) 57340 -
タイ南部の主な郵便番号
ナコンシータマラート郵便局 (นครศรีธรรมราช ) 80000
クラビー郵便局 (เมืองกระบี่ ) 81000
パンガー郵便局 (เมืองพังงา ) 82000
プーケット郵便局 (เมืองภูเก็ต ) 83000
スラーターニー郵便局 (เมืองสุราษฎร์ธานี ) 84000
ラノーン郵便局 (เมืองระนอง ) 85000
チュンポン郵便局 (เมืองชุมพร ) 86000
ソンクラー郵便局 (เมืองสงขลา ) 90000
サトゥーン郵便局 (เมืองสตูล ) 91000
トラン郵便局 (เมืองตรัง ) 92000
パッタルン郵便局 (เมืองพัทลุง ) 93000
パッタニー郵便局 (เมืองปัตตานี ) 94000
ヤラー郵便局 (เมืองยะลา ) 95000
ナラティワート郵便局 (เมืองนราธิวาส ) 96000
※ 『 タイの郵便番号一覧表 』 http://www.thailandpost.com/thpost/download/File/POSTCODE-ENG.xls
さらに、田舎の郵便局でも、日本の特定郵便局のように、主だった職員は、土地の有力者が世襲的にその職についているなどということもないようです。
タイの郵便事業は、19世紀の終わりころから始まり、長い間、政府機関の一部として、郵便・電信電話事業を行ってきましたが、1997年、政府直轄機関の「通信公社(CAT)」として分離され、2003年には、日本よりひと足先に、電信電話事業と別々に民営化されました。現在、「タイ郵便株式会社 ( Thailand Post Company Limited. )」 として、なかば独占的に郵便事業を行っています。
さて、本題のタイの「郵便番号」ですが、タイの郵便番号は、ごく一部を除いて、郵便物の配達を行っている郵便局ごとに割り当てられた5桁の番号になっております。
したがって、郵便物の宛名の「郵便番号」は、配達区域管轄の郵便局の番号ということになります。
タイには、現在郵便番号を割り当てられている正規の郵便局が、1200局ほどあるそうですが、これ以外に、契約で郵便局の代行をしている民間の機関が、3000ヵ所ほどあるらしいです。
ちなみに、郵便ポストは、全国のすべての町(タンボン)内のすべての地区(ムー・バーン)に1ヶ所は設置されております。
郵便番号を「ラハット・プライサニー(郵便局暗号)」といいます。
以下に、主な郵便番号を表示してありますが、5桁の上1桁は、北部、中部、南部などの広域行政区域に準じた番号付けになっています。
また、下3桁が000の郵便局は、各県ごとに置かれている地方の中央郵便局 に相当する基幹郵便局 で、OCR装置が設置されていて、管轄内の郵便局あての自動仕分けがされているようです。基幹の中央郵便局だけは、土日も休まず営業しているようです。
バンコク都内の主な郵便番号
バンコク中央郵便局 (กรุงเทพมหานคร ) 10000
ドンムアン空港郵便局 (ดอนเมือง )
10001
ラクシー中央郵便局 (หลักสี่ ) 10002
パップラーチャイヤ郵便局 (พลับพลาไชย ) 10100
ヤーナワー郵便局 (ยานนาวา ) 10120
パパデーン郵便局 (พระประแดง ) 10130
ラートブーラナ郵便局 (ราษฎร์บูรณะ ) 10140
バーンクンティアン郵便局 (บางขุนเทียน ) 10150
パシーチャルーン郵便局 (ภาษีเจริญ ) 10160
タリンチャン郵便局 (ตลิ่งชัน ) 10170
パナコン郵便局 (พระนคร ) 10200
ラクシー郵便局 (หลักสี่ ) 10210
ラームインター郵便局 (รามอินทรา ) 10220
チャラケーブア郵便局 (จรเข้บัว ) 10230
コンチャン郵便局 (คลองจั่น ) 10240
オーンヌット郵便局 (อ่อนนุช ) 10250
バーンナー郵便局 (บางนา ) 10260
サムッパーカーン郵便局
(เมืองสมุทรปราการ ) 10270
パサムッチェディ郵便局 (พระสมุทรเจดีย์ ) 10290
ドゥシット郵便局 (ดุสิต ) 10300
ラートパーウ郵便局 (ลาดพร้าว ) 10310
パトゥムワン郵便局 (ปทุมวัน ) 10330
サームセーンナイ郵便局 (สามเสนใน ) 10400
バーンラック郵便局 (บางรัก ) 10500
ミーンブリー郵便局 (มีนบุรี ) 10510
ラートカバン郵便局 (ลาดกระบัง ) 10520
ノンチョーク郵便局 (หนองจอก ) 10530
バーンピー郵便局 (บางพลี ) 10540
バーンボー郵便局 (บางบ่อ ) 10560
サムレー郵便局 (สำเหร ) 10600
ナーンコークノイ郵便局 (บางกอกน้อย ) 10700
バーンスー郵便局 (บางซื่อ ) 10800
チャトチャク郵便局 (จตุจักร ) 10900
バンコク近郊の主な郵便番号
ノンタブリー郵便局 (เมืองนนทบุรี ) 11000
パトゥムターニー郵便局 (เมืองปทุมธานี ) 12000
アユッタヤー郵便局 (พระนครศรีอยุธยา ) 13000
アーントーン郵便局 (เมืองอ่างทอง ) 14000
ロッブリー郵便局 (เมืองลพบุรี ) 15000
シンブリー郵便局 (เมืองสิงห์บุรี ) 16000
チャイナート郵便局 (เมืองชัยนาท ) 17000
サラブリー郵便局 (เมืองสระบุรี ) 18000
タイ東部の主な郵便番号
チョンブリー郵便局 (เมืองชลบุรี ) 20000
ラヨーン郵便局 (เมืองระยอง ) 21000
チャンタブリー郵便局 (เมืองจันทบุรี ) 22000
トラート郵便局 (เมืองตราด ) 23000
チャチュンサーオ郵便局 (เมืองฉะเชิงเทรา ) 24000
プラチーンブリー郵便局 (เมืองปราจีนบุรี ) 25000
ナコンナヨーク郵便局 (เมืองนครนายก ) 26000
サケーオ郵便局 (เมืองสระแก้ว ) 27000
タイ中西部の主な郵便番号
ラーブリー郵便局 (เมืองราชบุรี ) 70000
カンチャナブリー郵便局 (เมืองกาญจนบุรี ) 71000
スパンブリー郵便局 (เมืองสุพรรณบุรี ) 72000
ナコンパトム郵便局 (เมืองนครปฐม ) 73000
サムッサコーン郵便局 (เมืองสมุทรสาคร ) 74000
サムッソンクラーム郵便局 (สมุทรสงคราม ) 75000
ペッブリー郵便局 (เมืองเพชรบุรี ) 76000
パチャップキリカーン郵便局 (ประจวบคีรีขันธ์ ) 77000
タイ東北部の主な郵便番号
ナコンラーチャシーマー郵便局 (นครราชสีมา ) 30000
ブリーラム郵便局 (เมืองบุรีรัมย์ ) 31000
スリン郵便局 (เมืองสุรินทร์ ) 32000
シーサケット郵便局 (เมืองศีรสะเกษ ) 33000
ウボンラーチャタニー郵便局 (อุบลราชธานี ) 34000
ヤソトーン郵便局 (เมืองยโสธร ) 35000
チャヤプーム郵便局 (เมืองชัยภูมิ ) 36000
アムナートチャルーン郵便局 (อำนาจเจริญ ) 37000
ノンブアラムプー郵便局 (หนองบัวลำภู ) 39000
コンケーン郵便局 (เมืองขอนแก่น ) 40000
ウドンタニー郵便局 (เมืองอุดรธานี ) 41000
ルーイ郵便局 (เมืองเลย ) 42000
ノンカーイ郵便局 (เมืองหนองคาย ) 43000
マハッサーラカーム郵便局 (มหาสารคาม ) 44000
ロイエット郵便局 (เมืองร้อยเอ็ด ) 45000
カーラシン郵便局 (เมืองกาฬสินธุ์ ) 46000
サコンナコン郵便局 (เมืองสกลนคร ) 47000
ナコンパノム郵便局 (เมืองนครพนม ) 48000
ムクダーハーン郵便局 (เมืองมุกดาหาร ) 49000
タイ北部の主な郵便番号
チェンマイ中央郵便局 (เมืองเชียงใหม่ ) 50000
ラムプーン郵便局 (เมืองลำพูน ) 51000
ラムパーン郵便局 (เมืองลำปาง ) 52000
ウッタラディット郵便局 (เมืองอุตรดิตถ์ ) 53000
プレー郵便局 (เมืองแพร่ ) 54000
ナーン郵便局 (เมืองน่าน ) 55000
パヤオ郵便局 (เมืองพะเยา ) 56000
メホンソーン郵便局 (เมืองแม่ฮ่องสอน ) 58000
ナコンサワン郵便局 (เมืองนครสวรรค์ ) 60000
ウタイターニー郵便局 (เมืองอุทัยธานี ) 61000
カンペーンペット郵便局 (เมืองกำแพงเพชร ) 62000
ターク郵便局 (เมืองตาก ) 63000
スコータイ郵便局 (เมืองสุโขทัย ) 64000
ピサヌローク郵便局 (เมืองพิษณุโลก ) 65000
ピチット郵便局 (เมืองพิจิตร ) 66000
ペチャブン郵便局 (เมืองเพชรบูรณ์ ) 67000
チェンライ県内の郵便番号
チェンライ中央郵便局
(เมืองเชียงราย ) 57000 -
バーン・ドゥー郵便局 ( บ้านดู ) 57100
ต.ริมกก แม่ข้าวต้ม แม่ยาว นางแล ท่าสุด
メチャン郵便局 (แม่จัน ) 57110 แม่ฟ้าหลวง ดอยหลวง
パーン郵便局 (พาน ) 57120 -
メサーイ郵便局 (แม่สาย ) 57130 -
チェンコン郵便局 (เชียงของ ) 57140 -
チェンセン郵便局 (เชียงแสน ) 57150 -
トゥーン郵便局 (เทิง ) 57160 -
ウィアンパパオ郵便局 (เวียงป่าเป้า ) 57170 -
メースワイ郵便局 (แม่สรวย ) 57180 -
パーデット郵便局 (ป่าแดด ) 57190 -
ウィアンチャイ郵便局 (เวียงชัย ) 57210 เวียงเชียงรุ้ง
フエカイ郵便局 (ห้วยไคร้ ) 57220
ต.ห้วยไคร้ บ้านด้าย
プローン郵便局 (ปล้อง ) 57230
ต.เชียงเคี่ยน ปล้อง แม่ลอย ศรีดอนชัย หนองแรด
メーカム郵便局 (แม่คำ ) 57240
ต.แม่คำ แม่ไร่ เทอดไทย
メーラーオ郵便局 (แม่ลาว ) 57250 ต.ธารทอง
メーチェディ郵便局 ( แม่เจดีย์ ) 57260
ต.แม่เจดีย์ แม่เจดีย์ใหม่ เวียงกาหลง
チャンチャワ郵便局 ( จันจว้า ) 57270
ต.จันจว้าใต้ จันจว้า
メーイェン郵便局 ( แม่เย็น ) 57280
ต.แม่เย็น ทานตะวัน
パヤメンライ郵便局 (พญาเม็งราย ) 57290 -
ウィエンケン郵便局 (เวียงแก่น ) 57310 -
クンターン郵便局 (ขุนตาล ) 57340 -
タイ南部の主な郵便番号
ナコンシータマラート郵便局 (นครศรีธรรมราช ) 80000
クラビー郵便局 (เมืองกระบี่ ) 81000
パンガー郵便局 (เมืองพังงา ) 82000
プーケット郵便局 (เมืองภูเก็ต ) 83000
スラーターニー郵便局 (เมืองสุราษฎร์ธานี ) 84000
ラノーン郵便局 (เมืองระนอง ) 85000
チュンポン郵便局 (เมืองชุมพร ) 86000
ソンクラー郵便局 (เมืองสงขลา ) 90000
サトゥーン郵便局 (เมืองสตูล ) 91000
トラン郵便局 (เมืองตรัง ) 92000
パッタルン郵便局 (เมืองพัทลุง ) 93000
パッタニー郵便局 (เมืองปัตตานี ) 94000
ヤラー郵便局 (เมืองยะลา ) 95000
ナラティワート郵便局 (เมืองนราธิวาส ) 96000
※ 『 タイの郵便番号一覧表 』 http://www.thailandpost.com/thpost/download/File/POSTCODE-ENG.xls
タイのガソリンスタンド
タイのガソリン・スタンドは、10系列以上が、しのぎを削る過当競争状態である。最近まで、ガソリン価格は、政府が管理する「基準価格」をもとに販売されていたが、自由価格制度の時代に入り、よりいっそう競争は激しくなるものと思われる。
大手のスタンドは、ハイウェイ沿いにあるが、田舎道に入ったところにも、手回し式ポンプのドラム缶の田舎スタンドがあちこちに見られる。
各村々に1か所づつくらいは、かならずあるのようだ。バイクや農作業用の車など、近所で給油できるのは心強いことではあるが、かなり割高になるのは、仕方あるまい。
ハイウェイから我が家までの道沿いだけでも、6、7ヶ所の田舎スタンドと、ミニ・スタンド1ヶ所がある。
ガソリンの価格は、バンコクから遠ざかるに従って高くなり、田舎スタンドでは、都会価格の2割増し以上の価格で売られているようだ。
「PTT(ポー・トー・トー)」と「バーン・チャーク」は、政府系列の会社で、中でも、「PTT」は、国中どこへ行ってもみられ、中小スタンドの数も多い。それだけに、浮き沈みも激しく、最近では廃業したスタンドもあちこちに見られる。
そんな競争の中で、したたかに生き抜いていくために、「量目ゲージ」を操作して、ごまかしたり、ガソリンや重油に「水」を混入させて、「水増し」しするなど、悪質なスタンドもある。
給油する車の多い、大型のスタンドがもっとも信頼できるようである。
現在のところ、政府系の「PTT」と「バーン・チャーク」の2社だけが、「GASOHOL(メタノール混入ガソリン)」を扱っているが、新型の車でないと利用できないとか、燃費がいくらか落ちるとか制約はあるものの、リッターあたり1.5バーツも安いということで、価格高騰のおり、利用者もふえているようである。
タイのスタンドの客寄せで面白いのは、
「清潔なトイレあります」という看板が出ていることである。この看板のように車椅子用のトイレがあると、さらに効果があるのかもしれない。
街道沿いのスタンドには、「清潔なトイレ」のほかに、「ミニ・マート」などの小売店が併設されていて、「ドライブ・イン」風に利用されているようだ。
また、給油400バーツごとくらいに、ペット・ボトル入りの飲料水や「インスタント・ラーメン」など、景品を出すところもある。
たまに、ガラス拭きのサービスや、ボンネットを開けてオイル・チェックなどをしてくれるところもあったが、最近は、見かけなくなった。
日本のように、従業員が制服姿というところもないし、「いらっしゃいませ」、「ありがとうございました」と言うところもほとんどない。
チェンライのGS構成 (2005/03/01現在)
認可されているスタンドだけで、121ヵ所、
ほかに、216ヵ所の「無認可スタンド」があり、殆んどが「PTT」の看板を出しているようです。
さらに、田舎のドラム缶スタンドにいたっては、県内だけでも、1000ヵ所以上はあるのではないでしょうか。
--------------------------------------------------------------------------------
ガソリン・スタンドの看板
コスモ
タイ全土 : 91ヵ所
コスモ石油(日系)
もとの大協、丸善。
なぜか、半数近くが、チェンライ県内。
参考: 「コスモ石油のあゆみ」はこちら
PTT ( ปตท ポー・トー・トー )
タイ全土 : 1354ヵ所
2001年、「タイ石油公社」民営化
参考: Milestone(英文)はこちら
Bancaak(บางจาก バーン・チャーク)
タイ全土 : 1148ヵ所
もとタイ軍の精油所
GASOHOLなど、環境保護に配慮。
参考: Background(英文)はこちら
ESSO
タイ全土 : 606ヵ所
PTTよりは、ましらしい。
SHELL
タイ全土 : 619ヵ所
シェルのスタンドは、信頼できると評判。
SUSCO
タイ全土 : 147ヵ所
Siam United Service Pablic Co.Ltd
参考: 会社概要(タイ語)はこちら
PURE
タイ全土 : 20ヵ所
Rayong Purifier Public Co. Ltd(1995)
参考: History(英文)はこちら
PT
タイ全土 : 220ヵ所
BPの系列か
※1 タイ全土のスタンド数は、2005年3月時点での認可件数。
※2 上記のほか、チェンマイなどの他県では、「CALTEX」、「Q8]、「mp」などの看板を見かけることがあるが、県内では見かけない。
※3 タイ全土のスタンド数統計は、 こちら で。(タイ語)
--------------------------------------------------------------------------------
大手のスタンドは、ハイウェイ沿いにあるが、田舎道に入ったところにも、手回し式ポンプのドラム缶の田舎スタンドがあちこちに見られる。
各村々に1か所づつくらいは、かならずあるのようだ。バイクや農作業用の車など、近所で給油できるのは心強いことではあるが、かなり割高になるのは、仕方あるまい。
ハイウェイから我が家までの道沿いだけでも、6、7ヶ所の田舎スタンドと、ミニ・スタンド1ヶ所がある。
ガソリンの価格は、バンコクから遠ざかるに従って高くなり、田舎スタンドでは、都会価格の2割増し以上の価格で売られているようだ。
「PTT(ポー・トー・トー)」と「バーン・チャーク」は、政府系列の会社で、中でも、「PTT」は、国中どこへ行ってもみられ、中小スタンドの数も多い。それだけに、浮き沈みも激しく、最近では廃業したスタンドもあちこちに見られる。
そんな競争の中で、したたかに生き抜いていくために、「量目ゲージ」を操作して、ごまかしたり、ガソリンや重油に「水」を混入させて、「水増し」しするなど、悪質なスタンドもある。
給油する車の多い、大型のスタンドがもっとも信頼できるようである。
現在のところ、政府系の「PTT」と「バーン・チャーク」の2社だけが、「GASOHOL(メタノール混入ガソリン)」を扱っているが、新型の車でないと利用できないとか、燃費がいくらか落ちるとか制約はあるものの、リッターあたり1.5バーツも安いということで、価格高騰のおり、利用者もふえているようである。
タイのスタンドの客寄せで面白いのは、
「清潔なトイレあります」という看板が出ていることである。この看板のように車椅子用のトイレがあると、さらに効果があるのかもしれない。
街道沿いのスタンドには、「清潔なトイレ」のほかに、「ミニ・マート」などの小売店が併設されていて、「ドライブ・イン」風に利用されているようだ。
また、給油400バーツごとくらいに、ペット・ボトル入りの飲料水や「インスタント・ラーメン」など、景品を出すところもある。
たまに、ガラス拭きのサービスや、ボンネットを開けてオイル・チェックなどをしてくれるところもあったが、最近は、見かけなくなった。
日本のように、従業員が制服姿というところもないし、「いらっしゃいませ」、「ありがとうございました」と言うところもほとんどない。
チェンライのGS構成 (2005/03/01現在)
認可されているスタンドだけで、121ヵ所、
ほかに、216ヵ所の「無認可スタンド」があり、殆んどが「PTT」の看板を出しているようです。
さらに、田舎のドラム缶スタンドにいたっては、県内だけでも、1000ヵ所以上はあるのではないでしょうか。
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ガソリン・スタンドの看板
コスモ
タイ全土 : 91ヵ所
コスモ石油(日系)
もとの大協、丸善。
なぜか、半数近くが、チェンライ県内。
参考: 「コスモ石油のあゆみ」はこちら
PTT ( ปตท ポー・トー・トー )
タイ全土 : 1354ヵ所
2001年、「タイ石油公社」民営化
参考: Milestone(英文)はこちら
Bancaak(บางจาก バーン・チャーク)
タイ全土 : 1148ヵ所
もとタイ軍の精油所
GASOHOLなど、環境保護に配慮。
参考: Background(英文)はこちら
ESSO
タイ全土 : 606ヵ所
PTTよりは、ましらしい。
SHELL
タイ全土 : 619ヵ所
シェルのスタンドは、信頼できると評判。
SUSCO
タイ全土 : 147ヵ所
Siam United Service Pablic Co.Ltd
参考: 会社概要(タイ語)はこちら
PURE
タイ全土 : 20ヵ所
Rayong Purifier Public Co. Ltd(1995)
参考: History(英文)はこちら
PT
タイ全土 : 220ヵ所
BPの系列か
※1 タイ全土のスタンド数は、2005年3月時点での認可件数。
※2 上記のほか、チェンマイなどの他県では、「CALTEX」、「Q8]、「mp」などの看板を見かけることがあるが、県内では見かけない。
※3 タイ全土のスタンド数統計は、 こちら で。(タイ語)
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「 コ ン・ムアン 」
「 コ ン・ムアン 」
北タイの平地に住む「タイ人」を、「コン・ムアン」とい う。
「ムアンの人」という意味だが、「ムアン」というのは、多数の村落(バー ン)の集合体で、日本の昔の「・・郷」に近い。
ときには、ひとつの「ムアン」で小国を形成することもあったかもしれないが、一般的には、複数の「ムアン」が連合して「国」を作る。
中国大陸の西部から、東南アジアの海岸地帯にいたるまで、「ムアン」に由来する地名が、広範囲に存在する。これらのすべてが、タイ系民族の「ムアン」であるといわれている。
「ムアン」の長(おさ)を「チャオ・ムアン」というが、チャオ・ムアンの中の有力者が、王になる。有力ムアンの中心ともいえる都邑を「フア・ムアン」という。「ランナー王国」の「ムアン・チェンマイ」もそのような「フア・ムアン」のひとつである。
余談ではあるが、各県の県都を含めた郡を、「アンプー・ムアン(県都郡)」と呼んでいるが、古来の政治制度の名残である。
タイが多民族国家であるということは、何回か書いた。
『 タイで生まれて、タイ語を話すことができれば、”タイ人” 』 ということになっていて、タイに住むタイ語族系の間では、最近になって流入してきた難民などを除くと、「民族」が問題にされることあまりない。
「コン・ムアン」という言葉をはじめて耳にしたのも、懇意にしている山岳民族の若者からのことである。
彼は、”平地のタイ人も多民族の混血・混成によってなりなっているのに、「コン・ムアン」なんて”と、皮肉まじりに言っていたことが記憶に残る。
中部、南部のタイ人を「コン・タイ(南の人)」、東北タイのタイ人 を「コン・イサーン(イサーンの人)」、バンコクのタイ人を「コン・クルンテープ(バンコクの人)」などというが、北タイ人の場合には「コン・ヌア(北の人)」という。これらは、「関西人」、「関東人」などと同じく、出身地を基準にした呼び名で、「民族」概念に基づく呼称ではない。
「コン・ムアン」というのは、「コン・ヌア」などと同じように、出身地をベースにした呼び名だが、民族的な意味合いも含んだ呼称である。
20世紀初頭になってはじめて登場した呼称だそうで、100年そこそこにしかならない新しいものである。
現在では、「ランナー・タイゆかりのタイ人」 という意味あいで使われ、新参の民族と北タイ土着のタイ人(ランナー人)とを区別するために使われる。
【コン・ムアンのいわれ】
北タイの歴史を簡単にふりかえってみることにする。
インドシナ半島一帯の先住民族、モン・クメール語族が住みついていた土地に、北方からあちこちに小国を作りながら、タイ人の祖先たちが南下してきたのは、西暦紀元前後のことであるらしい。
そのころにはすでに、タイ語系の言語を使用する民族集団は、中国南部、長江流域から、西はインド北東部のアッサムにまで、多くの民族支に分かれて拡がっていた。
タイ語族に属する民族が、これらの地に拡散していったのは、北方から有力な「漢族系」の民族が華中・華南方面に南下してきたことが大きな圧力になっていたらしいが、この過程で、「漢族系」の民族との混交も進んだようである。
現在の華南一帯の中国人(広東人など)は、北方からの漢族が、先住民族である「タイ語族系民族」の地に入り、混交して出来上がった民族であるらしい。広東語など南部の中国語には、専従民族の「タイ語系」民族の言語との共通点が多くみられるようである。
インドシナ半島の北部から雲南・貴州あたりにかけては、山と谷や盆地が、複雑に入り組んでいる土地柄である。それらの谷あいの盆地は、稲作に適した土地で、山の幸・水の幸に恵まれた暮らしやすいところで、さまざまな民族が集落や国を形成して暮らしてきた。
それらの国のひとつから、「メンラーイ」という英雄が登場し、国の長(おさ)になったのが、西暦13世紀中ごろのことである。
当時は、衰えたりとはいえ、先住のモン・クメール族の支配は、北タイにまで及んでいた。
中部タイの「スコータイ」に、「シャム族」が台頭してきたのも、このころのことである。すでに、「タイ語系民族」は、クメール帝国の版図深くまで浸透し始めていたらしい。
やがて、「メンラーイ」は、チェンセンにあった都城を、コック川を遡って、チエンライ、ファーン、チエンマイ(新都という意味)へと移した。「ランナー王国」の建国者である。
この彼と行動をともにしたタイ語族系の民族が、「タイ・ユアン族(チエンマイ人)」のルーツである。単に「ユアン族」ということもあるが、ベトナムの「ユアン族」と紛らわしいため、「タイ・ユアン」ということが多いが、もしかすると、それらの民族間には、何らかのつながりがあるのかもしれないが、そのような資料に出会ったことはない。
「メンラーイ」は、「ラオ族」および「ルー族」の血を引いた「混血タイ族」だったそうだが、のちに「タイ・ユアン族」といわれる人たちも、これらのタイ語族などの混交した民族にちがいない。
「メンラーイ」の子の代には、北は雲南南部、東はメコン川を越えてラオス・ベトナムの北部にまで、西はビルマ東北部一帯に、その支配地域がひろがり、民族的な融合が進んだにちがいない。
「メンラーイ」の死後、数世代で「ランナー王国」は、後継者争いなどもあって急激に衰退し、現在のチエンマイを中心とした狭い範囲(チエンマイ・ランプーン・ランパーン)だけを版図として細々と生きながらえることになるが、弱小国の運命で、16世紀半ばから18世紀後半まで、200年あまり、隣国ビルマの支配下にあった。この時期、他民族による支配を忌避し、ほとんどの「ランナー人」は、「チェンマイ」を離れて、山野に逃れた。
「ビルマ人」が「ランナー」を支配している時期、逃散した「ランナー人」といれかわりに、多くのビルマ系の民族が「ランナー」にやってきた。これらのビルマ系民族の子孫が「マーン族(ビルマ族)」、「トン・スー族(カレン族系)」などである。
「ランナー」が、ビルマのクビキから開放されたのは、列強による植民地支配の時代の到来による。
この時期、シャム族の「アユッタヤ国」を殲滅し、日の出の勢いだったビルマが、英国の植民地軍との戦いに疲弊し衰退していった。この期に乗じて「シャム国」は再興を果たすことができた。さらにその余勢をかって、ビルマが支配していた北タイ北部まで勢力をのばし、インドシナ半島北部一帯を影響下においた。
同じ「タイ語系」民族のシャム族の支援のもと、「ランナー王国」は、つかの間の復活をするが、やがて、「シャム」の直接支配がはじまり、その歴史の幕を閉じる。
シャム族による「ランナー」支配が始まって、ビルマ系民族の追放が始まり、旧都チエンマイ一帯は、無人の廃墟に等しい状況に陥り、旧「ランナー人」の再結集が図られた。「 コン・ムアン 」という呼称が生まれたのは、この時期のことである。
”わしゃ、ビルマじゃなく、ランナーの者だ”という意味合いで、「コン・ムアン」が使われたのだそうである。「コン・ムアン」という言葉は、彼らの自称から始まったものである。シャム政府は「コン・ムアン」を、「ラオ・シャン( シャ ン の ラオ人 )」と呼んでいた。
この「ランナー人」再結集に集まってきた民族の主体が「タイ・ユアン族」であり、そのほか「ルー族系」や一部の「タイ・ヤイ」なども、「コン・ムアン」を称したようである。
「ランナー王国」が復興して間もないころ、チェンマイのはるか北、現在のシャン州にある「ムアン・ヨーン」から、2万人ほどのタイ語系民族のランプン県・パサーン郡への強制移住が行われたことがある。「ランナー王国」の人口不足を補うための施策だったようである。彼らの子孫を「ヨーン族」という。彼らも、もとをただせば、「チェンルン(雲南南部)」の「ルー族」だったようである。
バンコク政府の支配下になってからは、多くの「シャム族」 が「ランナー」に入植してきた。彼らの子孫が「タイ・タイ(南のタイ)族」である。
チエンライ、パヤオなどの北タイ東部もまた無人状態になっていた。アユッタヤ時代にビルマ軍に参加したこの一帯の住民、「タイ・ヤイ族(シャン族)」や「ルー族」の多くは逃げ出してしまっていた。
「ランナー」が一段落した後、この方面へも、住民の移住が図られるようになる。
「ランプン」、「ランパーン」からの「ル-族」系の「コン・ムアン」がほとんどだが、ランプン県パサーン郡の「ヨーン族」も、メカム川流域一帯と地域を指定して移住させられた。
わがメカム町界隈には、「ヨーン族」の言葉、「ヨーン語(ウー・ヨーン)」を話す「コン・ヨーン(ヨーン人)」の集落が多い。
このころから「ヨーン人」も「コン・ムアン」の仲間入りをしたようである。
「ヨーン語(ウー・ヨーン)は、「ユアン語(ウー・チェンマイ)」や「ルー語(ウー・ラオ)」とは、語彙の一部に違いがあるばかりか、声調がかなり異なる。そんなこともあって「ウー・ヨーン」という言葉は時々耳にするが、他の「平地のタイ人」たちから差別されているということもなさそうである。
大戦後、中国の政治変動、インドシナ紛争、ビルマの政変などによって、周辺諸国から、多くのタイ語族系や非タイ語族系の民族が流入してきているが、それぞれの民族の風俗習慣を維持しながら村落(ムー・バーン)を形成している民族については、それぞれの民族呼称が使われている。それでもなかには、「コン・ムアン」の中にまぎれこんで「コン・ムアン」の仲間入りをしている人も多いようである。
今では、「コン・ムアン」という言葉の定義もなんとなくあいまいで、あまり重要ではなくなってしまった感がするが、近年、地方の独自文化の復興の動きの中でまた、「コン・ムアン」という言葉も復活しつつあるようである。「北タイの文化」を、「ワッタナタム・コン・ムアン」とか「ワッタナタム・プン・ムアン」とか呼んでいるが、「コン・ムアン」とか「プン・ムアン」を冠した言葉が、しばしば見られるようになってきた。
「北タイ」、「ランナー」、「コン・ムアン」、セットになっているもののようである。
当節、国際的な難民保護運動や少数民族支援活動にくわえて、観光資源としての重要性からか、「チャオ・カオ(山の民)」と呼ばれる山岳少数民族の方が、何かと日の目を見ていて、「コン・ムアン」は政府施策でも後回しになっているような気がしないでもない。チェンマイ出身の政権が転覆させられたことは、「コン・ムアン」にとっては、かなりショッキングな出来事だったようである。
(参考) 拙稿、『 チエンライの(少数)民族 』
北タイの平地に住む「タイ人」を、「コン・ムアン」とい う。
「ムアンの人」という意味だが、「ムアン」というのは、多数の村落(バー ン)の集合体で、日本の昔の「・・郷」に近い。
ときには、ひとつの「ムアン」で小国を形成することもあったかもしれないが、一般的には、複数の「ムアン」が連合して「国」を作る。
中国大陸の西部から、東南アジアの海岸地帯にいたるまで、「ムアン」に由来する地名が、広範囲に存在する。これらのすべてが、タイ系民族の「ムアン」であるといわれている。
「ムアン」の長(おさ)を「チャオ・ムアン」というが、チャオ・ムアンの中の有力者が、王になる。有力ムアンの中心ともいえる都邑を「フア・ムアン」という。「ランナー王国」の「ムアン・チェンマイ」もそのような「フア・ムアン」のひとつである。
余談ではあるが、各県の県都を含めた郡を、「アンプー・ムアン(県都郡)」と呼んでいるが、古来の政治制度の名残である。
タイが多民族国家であるということは、何回か書いた。
『 タイで生まれて、タイ語を話すことができれば、”タイ人” 』 ということになっていて、タイに住むタイ語族系の間では、最近になって流入してきた難民などを除くと、「民族」が問題にされることあまりない。
「コン・ムアン」という言葉をはじめて耳にしたのも、懇意にしている山岳民族の若者からのことである。
彼は、”平地のタイ人も多民族の混血・混成によってなりなっているのに、「コン・ムアン」なんて”と、皮肉まじりに言っていたことが記憶に残る。
中部、南部のタイ人を「コン・タイ(南の人)」、東北タイのタイ人 を「コン・イサーン(イサーンの人)」、バンコクのタイ人を「コン・クルンテープ(バンコクの人)」などというが、北タイ人の場合には「コン・ヌア(北の人)」という。これらは、「関西人」、「関東人」などと同じく、出身地を基準にした呼び名で、「民族」概念に基づく呼称ではない。
「コン・ムアン」というのは、「コン・ヌア」などと同じように、出身地をベースにした呼び名だが、民族的な意味合いも含んだ呼称である。
20世紀初頭になってはじめて登場した呼称だそうで、100年そこそこにしかならない新しいものである。
現在では、「ランナー・タイゆかりのタイ人」 という意味あいで使われ、新参の民族と北タイ土着のタイ人(ランナー人)とを区別するために使われる。
【コン・ムアンのいわれ】
北タイの歴史を簡単にふりかえってみることにする。
インドシナ半島一帯の先住民族、モン・クメール語族が住みついていた土地に、北方からあちこちに小国を作りながら、タイ人の祖先たちが南下してきたのは、西暦紀元前後のことであるらしい。
そのころにはすでに、タイ語系の言語を使用する民族集団は、中国南部、長江流域から、西はインド北東部のアッサムにまで、多くの民族支に分かれて拡がっていた。
タイ語族に属する民族が、これらの地に拡散していったのは、北方から有力な「漢族系」の民族が華中・華南方面に南下してきたことが大きな圧力になっていたらしいが、この過程で、「漢族系」の民族との混交も進んだようである。
現在の華南一帯の中国人(広東人など)は、北方からの漢族が、先住民族である「タイ語族系民族」の地に入り、混交して出来上がった民族であるらしい。広東語など南部の中国語には、専従民族の「タイ語系」民族の言語との共通点が多くみられるようである。
インドシナ半島の北部から雲南・貴州あたりにかけては、山と谷や盆地が、複雑に入り組んでいる土地柄である。それらの谷あいの盆地は、稲作に適した土地で、山の幸・水の幸に恵まれた暮らしやすいところで、さまざまな民族が集落や国を形成して暮らしてきた。
それらの国のひとつから、「メンラーイ」という英雄が登場し、国の長(おさ)になったのが、西暦13世紀中ごろのことである。
当時は、衰えたりとはいえ、先住のモン・クメール族の支配は、北タイにまで及んでいた。
中部タイの「スコータイ」に、「シャム族」が台頭してきたのも、このころのことである。すでに、「タイ語系民族」は、クメール帝国の版図深くまで浸透し始めていたらしい。
やがて、「メンラーイ」は、チェンセンにあった都城を、コック川を遡って、チエンライ、ファーン、チエンマイ(新都という意味)へと移した。「ランナー王国」の建国者である。
この彼と行動をともにしたタイ語族系の民族が、「タイ・ユアン族(チエンマイ人)」のルーツである。単に「ユアン族」ということもあるが、ベトナムの「ユアン族」と紛らわしいため、「タイ・ユアン」ということが多いが、もしかすると、それらの民族間には、何らかのつながりがあるのかもしれないが、そのような資料に出会ったことはない。
「メンラーイ」は、「ラオ族」および「ルー族」の血を引いた「混血タイ族」だったそうだが、のちに「タイ・ユアン族」といわれる人たちも、これらのタイ語族などの混交した民族にちがいない。
「メンラーイ」の子の代には、北は雲南南部、東はメコン川を越えてラオス・ベトナムの北部にまで、西はビルマ東北部一帯に、その支配地域がひろがり、民族的な融合が進んだにちがいない。
「メンラーイ」の死後、数世代で「ランナー王国」は、後継者争いなどもあって急激に衰退し、現在のチエンマイを中心とした狭い範囲(チエンマイ・ランプーン・ランパーン)だけを版図として細々と生きながらえることになるが、弱小国の運命で、16世紀半ばから18世紀後半まで、200年あまり、隣国ビルマの支配下にあった。この時期、他民族による支配を忌避し、ほとんどの「ランナー人」は、「チェンマイ」を離れて、山野に逃れた。
「ビルマ人」が「ランナー」を支配している時期、逃散した「ランナー人」といれかわりに、多くのビルマ系の民族が「ランナー」にやってきた。これらのビルマ系民族の子孫が「マーン族(ビルマ族)」、「トン・スー族(カレン族系)」などである。
「ランナー」が、ビルマのクビキから開放されたのは、列強による植民地支配の時代の到来による。
この時期、シャム族の「アユッタヤ国」を殲滅し、日の出の勢いだったビルマが、英国の植民地軍との戦いに疲弊し衰退していった。この期に乗じて「シャム国」は再興を果たすことができた。さらにその余勢をかって、ビルマが支配していた北タイ北部まで勢力をのばし、インドシナ半島北部一帯を影響下においた。
同じ「タイ語系」民族のシャム族の支援のもと、「ランナー王国」は、つかの間の復活をするが、やがて、「シャム」の直接支配がはじまり、その歴史の幕を閉じる。
シャム族による「ランナー」支配が始まって、ビルマ系民族の追放が始まり、旧都チエンマイ一帯は、無人の廃墟に等しい状況に陥り、旧「ランナー人」の再結集が図られた。「 コン・ムアン 」という呼称が生まれたのは、この時期のことである。
”わしゃ、ビルマじゃなく、ランナーの者だ”という意味合いで、「コン・ムアン」が使われたのだそうである。「コン・ムアン」という言葉は、彼らの自称から始まったものである。シャム政府は「コン・ムアン」を、「ラオ・シャン( シャ ン の ラオ人 )」と呼んでいた。
この「ランナー人」再結集に集まってきた民族の主体が「タイ・ユアン族」であり、そのほか「ルー族系」や一部の「タイ・ヤイ」なども、「コン・ムアン」を称したようである。
「ランナー王国」が復興して間もないころ、チェンマイのはるか北、現在のシャン州にある「ムアン・ヨーン」から、2万人ほどのタイ語系民族のランプン県・パサーン郡への強制移住が行われたことがある。「ランナー王国」の人口不足を補うための施策だったようである。彼らの子孫を「ヨーン族」という。彼らも、もとをただせば、「チェンルン(雲南南部)」の「ルー族」だったようである。
バンコク政府の支配下になってからは、多くの「シャム族」 が「ランナー」に入植してきた。彼らの子孫が「タイ・タイ(南のタイ)族」である。
チエンライ、パヤオなどの北タイ東部もまた無人状態になっていた。アユッタヤ時代にビルマ軍に参加したこの一帯の住民、「タイ・ヤイ族(シャン族)」や「ルー族」の多くは逃げ出してしまっていた。
「ランナー」が一段落した後、この方面へも、住民の移住が図られるようになる。
「ランプン」、「ランパーン」からの「ル-族」系の「コン・ムアン」がほとんどだが、ランプン県パサーン郡の「ヨーン族」も、メカム川流域一帯と地域を指定して移住させられた。
わがメカム町界隈には、「ヨーン族」の言葉、「ヨーン語(ウー・ヨーン)」を話す「コン・ヨーン(ヨーン人)」の集落が多い。
このころから「ヨーン人」も「コン・ムアン」の仲間入りをしたようである。
「ヨーン語(ウー・ヨーン)は、「ユアン語(ウー・チェンマイ)」や「ルー語(ウー・ラオ)」とは、語彙の一部に違いがあるばかりか、声調がかなり異なる。そんなこともあって「ウー・ヨーン」という言葉は時々耳にするが、他の「平地のタイ人」たちから差別されているということもなさそうである。
大戦後、中国の政治変動、インドシナ紛争、ビルマの政変などによって、周辺諸国から、多くのタイ語族系や非タイ語族系の民族が流入してきているが、それぞれの民族の風俗習慣を維持しながら村落(ムー・バーン)を形成している民族については、それぞれの民族呼称が使われている。それでもなかには、「コン・ムアン」の中にまぎれこんで「コン・ムアン」の仲間入りをしている人も多いようである。
今では、「コン・ムアン」という言葉の定義もなんとなくあいまいで、あまり重要ではなくなってしまった感がするが、近年、地方の独自文化の復興の動きの中でまた、「コン・ムアン」という言葉も復活しつつあるようである。「北タイの文化」を、「ワッタナタム・コン・ムアン」とか「ワッタナタム・プン・ムアン」とか呼んでいるが、「コン・ムアン」とか「プン・ムアン」を冠した言葉が、しばしば見られるようになってきた。
「北タイ」、「ランナー」、「コン・ムアン」、セットになっているもののようである。
当節、国際的な難民保護運動や少数民族支援活動にくわえて、観光資源としての重要性からか、「チャオ・カオ(山の民)」と呼ばれる山岳少数民族の方が、何かと日の目を見ていて、「コン・ムアン」は政府施策でも後回しになっているような気がしないでもない。チェンマイ出身の政権が転覆させられたことは、「コン・ムアン」にとっては、かなりショッキングな出来事だったようである。
(参考) 拙稿、『 チエンライの(少数)民族 』
タイの行政組織
タイの行政組織
タイの行政組織は複雑で、たびたび改変されるので、非常にわかりにくい。
現在、地方の行政組織は、おおむね以下のようになっている
行政区分
「県」 - 「郡」 - 「町」(行政区) - 「村」(街区)
「県」 ( チャンワット : จังหวัด )
数年前に、人口の多い「東北地方(イサーン)」の何県かが分割されて、現在、76の県に分けられている。「バンコク」と「アユタヤ」は、「県(チャンワット)」とは呼ばず、行政上特別扱いになっている。ちなみに、「バンコク」は、「クルンテープ・マハナコーン・・・」、「アユタヤ」は、「プラ・ナコンシー・アユタヤ」という。「バンコク」の通称は、「クルンテープ(天使の都)」である。
人口30万に満たない県も8県ほどある。(タイの総人口は、6,200万あまり)
県の最高責任者は、「県知事(プーワ・ラーチャカン・チャンワット)」である。公選制ではなく、内務省の役人である。(「バンコク知事」に限り、現在では選挙によって選ばれている。「チェンマイ」など、いくつかの県については、公選制が検討されているが、まだ実現してはいない。)
県庁の組織は、すべて内務省(クラスワン・マハタイ)および、その他中央省庁の出先機関である。したがって、県の自治裁量はきわめて限定されたものにとどまり、行政は、中央集権的に行われている。さかのぼって行けば、「首相(ナーヨック・ラッタモントリー)」の権力は絶大で、「首相」の裁量ひとつで多くのことが実施でき、時に、行政の対応が迅速になるメリットもある。悪い言い方を、あえてすれば、「大臣(ラッタモントリー)」、「知事」など、「首相」の番頭、手代に過ぎないということができる。
県内における中央省庁の業務は、すべてが縦割りで実行されていて、たとえば、「保険医療行政」は「保健省」、学校行政は「教育省」といった具合で、県知事のあずかり知らぬところである。知事の業務は、地方開発、治安維持、郡以下の行政組織に対する指導・監督等の内務省関連の業務に限定される。
現在のような中央集権的な行政形態のもとでの知事の「公選」というのは、あまり意味のあることではない。
「郡」 ( アンプー : อำเภอ )
各県は、10前後の「郡」または「支郡(キン・アンプー)」に分けられている。
「支郡」というのは、郡を分割して出来た新しい郡で、郡役所の建物など、必要な設備が整っていないため、間借りをしている準郡で、近い将来正式の郡に昇格する郡のことである。「長」をはじめ、職員のほとんどが、旧郡との兼務である。
「郡長(ナーイ・アンプー)」も、それを補佐する「副群長(パラット・アンプー)」も内務省のお役人である。下っ端の職員の多くは、臨時の嘱託職員で公務員ではない。
郡役所というのは、管轄する「町(行政区)」や「村(街区)」などの、市民行政、地域開発、指導などを直接実施する役所である。土地の売買登記、出生登録、死亡届、身分証の発行・更新など、庶民が直接接触するのは、郡役所である。郡役所に隣接して「郡警察署(サターニー・タムルワット・プートン)」が併設されていることが多い。
「町(行政区)」 ( タンボン : ตำบล )
各郡は、10前後の「行政区」に分けられている。
「町長(行政区長)」を、「カムナン」といい、公選によって選ばれる。監査役に「サラワット・カムナン」、補佐役に「プーチュオイ・カムナン」などが、任命される。行政区の事務所は、カムナンの自宅というのが普通だったが、最近になって「行政区事務所(サムナックガーン・タンボン)」が、国の予算で建てられることが多くなった。
カムナンの仕事は、地域開発などを現場で指揮するのが仕事であるが、近年「オー・ボー・トー(タンボン行政執行委員会)」が、タンボン・レベルにも普及し、地域開発の予算執行は、この委員会によって行われるようになった。日本であれば、役場の職員によって行われる仕事を実行する。各街区(次項)から、2名程度の委員が、公選で選ばれる。
「村(街区)」 ( ムーバーン : หมู่บ้าน )
「街区」は、行政上の末端組織である。「街区」は、名前ではなく、「第○○区」といった具合に、番号で呼ばれている。「街区」の人口は、1000人前後くらいが普通のようだ。
「ムーバーン」というのは、「家の集まり」という意味で、本来は「集落」のことである。いくつかの小さな「集落」を、ひとまとめにして「街区」が構成された。「集落(バーン)」は、自然発生的に近親者を中心にして出来たものが多く、かつては、これらの「集落」が、行政の最小単位だった。それらには、「村長(むらおさ)」がいて、「ポウロン」と呼ばれていた。直訳すると「大きなお父さん」である。
現在でも、「どちらにお住まいですか」と聞かれて、答えるのは、旧「集落」名である。
「街区」の長は、「プーヤイ・バーン(集落の大人)」と呼ばれ、公選によって選ばれる。
「街区」長の仕事は、かつては、地域開発等予算執行の最先端だったが、現在では「街区」内のまとめ役の役割くらいしかすることがなくなった。土地売買や婚姻届などの「立会人(保証人)」署名などが主な仕事なのかもしれない。
最近の高学歴志向を反映して、行政区以下の役員は、学歴を問われるようになった。標準語の会話がおぼつかないなどは論外なようで、標準語の読み書きが出来ないものは、役員になることは出来ない。社会経験の豊かな高齢者が、役員になることは不可能である。ここでも、「歴史」や「経験」は置き去りにされていく。
タイには、「地方公務員」というのは、原則としてない。行政区以下の役員は、すべて、国の「公務員」ではない。国からは、月々、弁当代のような形で手当てが支払われるが、正式の公務員とは、比べ物にならないほど小額である。ちなみに、「オー・ボー・トー」の手当てが、月額7000バーツ(約15000円)である。行政区以下の役員は、すべてが、兼業(農家)といっても過言ではない。
「県(チャンワット)」と「行政区(タンボン)」には、議会(サパー)があり、議員は公選で選ばれるが、「立法議会」として、どんなことを議論しているのかは、まったく不明である。自治裁量と自治意識の希薄なところでできることはたかが知れている。「名誉職」に過ぎないような気がしないでもないが、幾ばくかの手当てが目的で議員に立候補するのかもしれない。
以上が、基本的な地方の行政組織で、ここまでは、まあまあ理解できるのだが、このほかに、「県」~「村」の組織と重複するような形で、ある程度の、「自治裁量」を認められた「テサバーン」なるものが存在し、大変ややこしいことになっている。
「郡」と同じレベルに、「テサバーン・ナコン」とか「テサバーン・ムアン」なるものがあり、県都のチェンライは、「県都郡(アンプー・ムアンという)」の一部が、分離するような形で、「テサバーン」に昇格している。「テサバーン」というのは、「市長(ナヨーク・テサバーン)」もいて、日本の「市」に近いものだそうだが、理解しにくい。
「テサバーン」を作るため、人口、人口密度、税の徴収総額などの条件があるため、従来の行政区分から、人口密集地だけ切り離して「市」に昇格しているので、余計わかりにくくなっている。ドーナツ状の同心円の外側だけが、従来の行政区分のままで、中心の穴の部分が、「テサバーン」に昇格して、分離してしまうわけである。完全に分離してしまえば、それはそれですっきりするのだが、生活習慣的なもの(たとえば、郵便物の宛名など)は、相変わらず分離前と変わらず、ややこしいことになる。
「テサバーン」に昇格することによる、もっとも大きなメリットは、国からの自由裁量予算の配分があり、道路工事などインフラ整備が容易になるらしい。ということは、関係者は、「いただけるものがいただける」ようになるということでもある。
同様のものは、「行政区」にも「街区」にもあり、「街区」のものは「スカピバーン(衛生区)」といって、道路をも含めた「保険衛生設備」等の予算に限り、国から援助され、それらの「自由裁量」が任されるらしい。直属の行政組織は、「行政区」から「郡」に格上げになる。
「行政区」レベルのものは、「テサバーン・タンボン」といい、「市長」や「議会」を持った、「郡」直下の組織になる。「自治裁量権」も「スカピバーン」とは異なり、総合的なものに拡大する。
かつて、タイの役人は「カーラーチャカーン(国の奴)」と呼ばれ、無給だったそうだ。自らあれこれと画策して、所得を得ていたわけで、その悪しき伝統習慣は、現在でも続いている。「政府」が、役人の「汚職撲滅」を目指しているようだが、閣僚のなかにも、モダンな手段でよからぬ画策をしている者がいる以上、「撲滅」などということは容易なことではないだろう。
余談)
かつては「テサバーン」の重要な仕事が、街路の清掃や「ゴミ収集」だった。自治行政としては、それしかなかったのかもしれない。「テサバーン」とは「ゴミ収集作業」の代名詞のようなものである。
他の魚の排泄物を餌にしている「ロリカリア科の プレコの一種」のことを、「プラー・テサバーン(テサバーンウオ)」と呼んでいる。「掃除魚」である。
タイの行政組織は複雑で、たびたび改変されるので、非常にわかりにくい。
現在、地方の行政組織は、おおむね以下のようになっている
行政区分
「県」 - 「郡」 - 「町」(行政区) - 「村」(街区)
「県」 ( チャンワット : จังหวัด )
数年前に、人口の多い「東北地方(イサーン)」の何県かが分割されて、現在、76の県に分けられている。「バンコク」と「アユタヤ」は、「県(チャンワット)」とは呼ばず、行政上特別扱いになっている。ちなみに、「バンコク」は、「クルンテープ・マハナコーン・・・」、「アユタヤ」は、「プラ・ナコンシー・アユタヤ」という。「バンコク」の通称は、「クルンテープ(天使の都)」である。
人口30万に満たない県も8県ほどある。(タイの総人口は、6,200万あまり)
県の最高責任者は、「県知事(プーワ・ラーチャカン・チャンワット)」である。公選制ではなく、内務省の役人である。(「バンコク知事」に限り、現在では選挙によって選ばれている。「チェンマイ」など、いくつかの県については、公選制が検討されているが、まだ実現してはいない。)
県庁の組織は、すべて内務省(クラスワン・マハタイ)および、その他中央省庁の出先機関である。したがって、県の自治裁量はきわめて限定されたものにとどまり、行政は、中央集権的に行われている。さかのぼって行けば、「首相(ナーヨック・ラッタモントリー)」の権力は絶大で、「首相」の裁量ひとつで多くのことが実施でき、時に、行政の対応が迅速になるメリットもある。悪い言い方を、あえてすれば、「大臣(ラッタモントリー)」、「知事」など、「首相」の番頭、手代に過ぎないということができる。
県内における中央省庁の業務は、すべてが縦割りで実行されていて、たとえば、「保険医療行政」は「保健省」、学校行政は「教育省」といった具合で、県知事のあずかり知らぬところである。知事の業務は、地方開発、治安維持、郡以下の行政組織に対する指導・監督等の内務省関連の業務に限定される。
現在のような中央集権的な行政形態のもとでの知事の「公選」というのは、あまり意味のあることではない。
「郡」 ( アンプー : อำเภอ )
各県は、10前後の「郡」または「支郡(キン・アンプー)」に分けられている。
「支郡」というのは、郡を分割して出来た新しい郡で、郡役所の建物など、必要な設備が整っていないため、間借りをしている準郡で、近い将来正式の郡に昇格する郡のことである。「長」をはじめ、職員のほとんどが、旧郡との兼務である。
「郡長(ナーイ・アンプー)」も、それを補佐する「副群長(パラット・アンプー)」も内務省のお役人である。下っ端の職員の多くは、臨時の嘱託職員で公務員ではない。
郡役所というのは、管轄する「町(行政区)」や「村(街区)」などの、市民行政、地域開発、指導などを直接実施する役所である。土地の売買登記、出生登録、死亡届、身分証の発行・更新など、庶民が直接接触するのは、郡役所である。郡役所に隣接して「郡警察署(サターニー・タムルワット・プートン)」が併設されていることが多い。
「町(行政区)」 ( タンボン : ตำบล )
各郡は、10前後の「行政区」に分けられている。
「町長(行政区長)」を、「カムナン」といい、公選によって選ばれる。監査役に「サラワット・カムナン」、補佐役に「プーチュオイ・カムナン」などが、任命される。行政区の事務所は、カムナンの自宅というのが普通だったが、最近になって「行政区事務所(サムナックガーン・タンボン)」が、国の予算で建てられることが多くなった。
カムナンの仕事は、地域開発などを現場で指揮するのが仕事であるが、近年「オー・ボー・トー(タンボン行政執行委員会)」が、タンボン・レベルにも普及し、地域開発の予算執行は、この委員会によって行われるようになった。日本であれば、役場の職員によって行われる仕事を実行する。各街区(次項)から、2名程度の委員が、公選で選ばれる。
「村(街区)」 ( ムーバーン : หมู่บ้าน )
「街区」は、行政上の末端組織である。「街区」は、名前ではなく、「第○○区」といった具合に、番号で呼ばれている。「街区」の人口は、1000人前後くらいが普通のようだ。
「ムーバーン」というのは、「家の集まり」という意味で、本来は「集落」のことである。いくつかの小さな「集落」を、ひとまとめにして「街区」が構成された。「集落(バーン)」は、自然発生的に近親者を中心にして出来たものが多く、かつては、これらの「集落」が、行政の最小単位だった。それらには、「村長(むらおさ)」がいて、「ポウロン」と呼ばれていた。直訳すると「大きなお父さん」である。
現在でも、「どちらにお住まいですか」と聞かれて、答えるのは、旧「集落」名である。
「街区」の長は、「プーヤイ・バーン(集落の大人)」と呼ばれ、公選によって選ばれる。
「街区」長の仕事は、かつては、地域開発等予算執行の最先端だったが、現在では「街区」内のまとめ役の役割くらいしかすることがなくなった。土地売買や婚姻届などの「立会人(保証人)」署名などが主な仕事なのかもしれない。
最近の高学歴志向を反映して、行政区以下の役員は、学歴を問われるようになった。標準語の会話がおぼつかないなどは論外なようで、標準語の読み書きが出来ないものは、役員になることは出来ない。社会経験の豊かな高齢者が、役員になることは不可能である。ここでも、「歴史」や「経験」は置き去りにされていく。
タイには、「地方公務員」というのは、原則としてない。行政区以下の役員は、すべて、国の「公務員」ではない。国からは、月々、弁当代のような形で手当てが支払われるが、正式の公務員とは、比べ物にならないほど小額である。ちなみに、「オー・ボー・トー」の手当てが、月額7000バーツ(約15000円)である。行政区以下の役員は、すべてが、兼業(農家)といっても過言ではない。
「県(チャンワット)」と「行政区(タンボン)」には、議会(サパー)があり、議員は公選で選ばれるが、「立法議会」として、どんなことを議論しているのかは、まったく不明である。自治裁量と自治意識の希薄なところでできることはたかが知れている。「名誉職」に過ぎないような気がしないでもないが、幾ばくかの手当てが目的で議員に立候補するのかもしれない。
以上が、基本的な地方の行政組織で、ここまでは、まあまあ理解できるのだが、このほかに、「県」~「村」の組織と重複するような形で、ある程度の、「自治裁量」を認められた「テサバーン」なるものが存在し、大変ややこしいことになっている。
「郡」と同じレベルに、「テサバーン・ナコン」とか「テサバーン・ムアン」なるものがあり、県都のチェンライは、「県都郡(アンプー・ムアンという)」の一部が、分離するような形で、「テサバーン」に昇格している。「テサバーン」というのは、「市長(ナヨーク・テサバーン)」もいて、日本の「市」に近いものだそうだが、理解しにくい。
「テサバーン」を作るため、人口、人口密度、税の徴収総額などの条件があるため、従来の行政区分から、人口密集地だけ切り離して「市」に昇格しているので、余計わかりにくくなっている。ドーナツ状の同心円の外側だけが、従来の行政区分のままで、中心の穴の部分が、「テサバーン」に昇格して、分離してしまうわけである。完全に分離してしまえば、それはそれですっきりするのだが、生活習慣的なもの(たとえば、郵便物の宛名など)は、相変わらず分離前と変わらず、ややこしいことになる。
「テサバーン」に昇格することによる、もっとも大きなメリットは、国からの自由裁量予算の配分があり、道路工事などインフラ整備が容易になるらしい。ということは、関係者は、「いただけるものがいただける」ようになるということでもある。
同様のものは、「行政区」にも「街区」にもあり、「街区」のものは「スカピバーン(衛生区)」といって、道路をも含めた「保険衛生設備」等の予算に限り、国から援助され、それらの「自由裁量」が任されるらしい。直属の行政組織は、「行政区」から「郡」に格上げになる。
「行政区」レベルのものは、「テサバーン・タンボン」といい、「市長」や「議会」を持った、「郡」直下の組織になる。「自治裁量権」も「スカピバーン」とは異なり、総合的なものに拡大する。
かつて、タイの役人は「カーラーチャカーン(国の奴)」と呼ばれ、無給だったそうだ。自らあれこれと画策して、所得を得ていたわけで、その悪しき伝統習慣は、現在でも続いている。「政府」が、役人の「汚職撲滅」を目指しているようだが、閣僚のなかにも、モダンな手段でよからぬ画策をしている者がいる以上、「撲滅」などということは容易なことではないだろう。
余談)
かつては「テサバーン」の重要な仕事が、街路の清掃や「ゴミ収集」だった。自治行政としては、それしかなかったのかもしれない。「テサバーン」とは「ゴミ収集作業」の代名詞のようなものである。
他の魚の排泄物を餌にしている「ロリカリア科の プレコの一種」のことを、「プラー・テサバーン(テサバーンウオ)」と呼んでいる。「掃除魚」である。
タイの国立公園
タイの国立公園を列挙しました。
北部
ウィエンコーサイ国立公園
オープルワン国立公園
クローン・ワンチャオ国立公園
クローン・トローン国立公園
クローン・ラーン国立公園
クンチェー国立公園
クンナーン国立公園
ケン・チェットクウェー国立公園
サーラワン国立公園
シーサッチャナーライ国立公園
シーナーン国立公園
シーラーンナー国立公園
タークシン大王国立公園
タートモーク国立公園
タム・サクーン国立公園
タム・パータイ国立公園
タム・プラー=ナムトック・スア国立公園
チェーソーン国立公園
チエンダーオ国立公園
トゥン・サレーンルワン国立公園
ドーイ・ウィエンパー国立公園
ドーイ・インタノン国立公園
ドーイ・クンターン国立公園
ドーイ・ステープ=プイ国立公園
ドーイ・チョン国立公園
ドーイ・パークローン国立公園
ドーイ・プーカー国立公園
ドーイ・プーナーン国立公園
ドーイ・ルワン国立公園
ナムトック・チャートトラカーン国立公園
ナムトック・パーチャルーン国立公園
ナムトック・メー・スリン国立公園
ナムナーオ国立公園
ナンタブリー国立公園
パー・メー・プーム国立公園
プー・ソーイダーオ国立公園
プー・ヒンローンクラー国立公園
フワイ・ナムダン国立公園
メー・カーサー国立公園
メー・ガオ国立公園
メー・ムーイ国立公園
メー・ウォン国立公園
メー・タクライ国立公園
メー・チャリム国立公園
メー・トー国立公園
メー・ピン国立公園
メー・ファーン国立公園
メー・ヨム国立公園
メー・ワ国立公園
メー・ワン国立公園
ラームカムヘーン国立公園
ラーンサーン国立公園
ラムナムナーン国立公園
東北部
カオ・プラウィハーン国立公園
カオヤイ国立公園
ケン・タナ国立公園
タートトーン国立公園
タープラヤー国立公園
タップラーン国立公園
サイトーン国立公園
ナーヘーオ国立公園
ナンポーン国立公園
パーテーム国立公園
プー・ウィエン国立公園
プー・カオ=プー・パーンカム国立公園
プー・クラドゥン国立公園
プー・サラドーク国立公園
プー・チョーン=ナーヨーン国立公園
プー・パーマーン国立公園
プー・パーレック国立公園
プー・パーン国立公園
パー・ヒンガーム国立公園
プー・ランカー国立公園
プー・ルア国立公園
プー・レーンカー国立公園
フワイ・ウォット国立公園
ムックダーハーン国立公園
中部
エーラーワン国立公園
カオ・キッチャクート国立公園
カオ・チャマオ=カオ・ウォン国立公園
カオ・レーム国立公園
クアンシーナカリン国立公園
ケン・クラチャーン国立公園
チャルームラッタナコーシン国立公園
サイヨーク国立公園
トーンパープーム国立公園
ナムトック・クローン・クウェー国立公園
ナムトック・プリオ国立公園
パーンシーダー国立公園
プトゥーイ国立公園
プラプッタチャーイ国立公園
ラムクローングー国立公園
南部
カオ・ソック国立公園
カオナムカーン国立公園
カオ・ナン国立公園
カオ・パノムベンチャー国立公園
カオ・プー=カオ・ヤー国立公園
カオ・ルワン国立公園
クイブリー国立公園
クローン・パノム国立公園
ケン・クルン国立公園
サンカーラーキーリー国立公園
シーパンガー国立公園
ターイロムイェン国立公園
ナムサーイカーオ国立公園
ナムトック・ガーオ国立公園
ナムトック・シーキート国立公園
ナムトック・シーポー国立公園
ナムトック・フワイ・ヤーン国立公園
ナムトック・ヨーン国立公園
バーンラーン国立公園
ブードー=スンガイパーディー国立公園
海洋国立公園
タイランド湾 アンダマン海北側 アンダマン海南側
アーントーン諸島海洋国立公園
カオ・レームヤー=サメット諸島海洋国立公園
カオ・サームローイヨート海洋国立公園
チャーン諸島海洋公園
チュンポーン諸島海洋公園
ナムトック・ターンサデット海洋国立公園
ハート・カノーム=南洋諸島海洋国立公園
ハート・ドゥワンコーン海洋国立公園
カオ・ラック=ラムルー海洋国立公園
カオ・ラムピー=ハート・ターイムアン海洋国立公園
シミラン諸島海洋国立公園
シリナート海洋国立公園
スリン諸島海洋国立公園
パヤーム諸島海洋国立公園
ラムナム・クラブリー海洋国立公園
レーム・ソーン海洋国立公園
サンタ諸島海洋国立公園
ターンボーコーラニー海洋国立公園
タルタオ諸島海洋国立公園
タレー・バン海洋国立公園
ハート・チャオマイ海洋国立公園
ハート・ノッパラットターラー=ピーピー諸島海洋国立公園
パンガー湾海洋国立公園
ペートラー海洋国立公園
クークット海鳥公園
タレーノーイ海鳥公園
北部
ウィエンコーサイ国立公園
オープルワン国立公園
クローン・ワンチャオ国立公園
クローン・トローン国立公園
クローン・ラーン国立公園
クンチェー国立公園
クンナーン国立公園
ケン・チェットクウェー国立公園
サーラワン国立公園
シーサッチャナーライ国立公園
シーナーン国立公園
シーラーンナー国立公園
タークシン大王国立公園
タートモーク国立公園
タム・サクーン国立公園
タム・パータイ国立公園
タム・プラー=ナムトック・スア国立公園
チェーソーン国立公園
チエンダーオ国立公園
トゥン・サレーンルワン国立公園
ドーイ・ウィエンパー国立公園
ドーイ・インタノン国立公園
ドーイ・クンターン国立公園
ドーイ・ステープ=プイ国立公園
ドーイ・チョン国立公園
ドーイ・パークローン国立公園
ドーイ・プーカー国立公園
ドーイ・プーナーン国立公園
ドーイ・ルワン国立公園
ナムトック・チャートトラカーン国立公園
ナムトック・パーチャルーン国立公園
ナムトック・メー・スリン国立公園
ナムナーオ国立公園
ナンタブリー国立公園
パー・メー・プーム国立公園
プー・ソーイダーオ国立公園
プー・ヒンローンクラー国立公園
フワイ・ナムダン国立公園
メー・カーサー国立公園
メー・ガオ国立公園
メー・ムーイ国立公園
メー・ウォン国立公園
メー・タクライ国立公園
メー・チャリム国立公園
メー・トー国立公園
メー・ピン国立公園
メー・ファーン国立公園
メー・ヨム国立公園
メー・ワ国立公園
メー・ワン国立公園
ラームカムヘーン国立公園
ラーンサーン国立公園
ラムナムナーン国立公園
東北部
カオ・プラウィハーン国立公園
カオヤイ国立公園
ケン・タナ国立公園
タートトーン国立公園
タープラヤー国立公園
タップラーン国立公園
サイトーン国立公園
ナーヘーオ国立公園
ナンポーン国立公園
パーテーム国立公園
プー・ウィエン国立公園
プー・カオ=プー・パーンカム国立公園
プー・クラドゥン国立公園
プー・サラドーク国立公園
プー・チョーン=ナーヨーン国立公園
プー・パーマーン国立公園
プー・パーレック国立公園
プー・パーン国立公園
パー・ヒンガーム国立公園
プー・ランカー国立公園
プー・ルア国立公園
プー・レーンカー国立公園
フワイ・ウォット国立公園
ムックダーハーン国立公園
中部
エーラーワン国立公園
カオ・キッチャクート国立公園
カオ・チャマオ=カオ・ウォン国立公園
カオ・レーム国立公園
クアンシーナカリン国立公園
ケン・クラチャーン国立公園
チャルームラッタナコーシン国立公園
サイヨーク国立公園
トーンパープーム国立公園
ナムトック・クローン・クウェー国立公園
ナムトック・プリオ国立公園
パーンシーダー国立公園
プトゥーイ国立公園
プラプッタチャーイ国立公園
ラムクローングー国立公園
南部
カオ・ソック国立公園
カオナムカーン国立公園
カオ・ナン国立公園
カオ・パノムベンチャー国立公園
カオ・プー=カオ・ヤー国立公園
カオ・ルワン国立公園
クイブリー国立公園
クローン・パノム国立公園
ケン・クルン国立公園
サンカーラーキーリー国立公園
シーパンガー国立公園
ターイロムイェン国立公園
ナムサーイカーオ国立公園
ナムトック・ガーオ国立公園
ナムトック・シーキート国立公園
ナムトック・シーポー国立公園
ナムトック・フワイ・ヤーン国立公園
ナムトック・ヨーン国立公園
バーンラーン国立公園
ブードー=スンガイパーディー国立公園
海洋国立公園
タイランド湾 アンダマン海北側 アンダマン海南側
アーントーン諸島海洋国立公園
カオ・レームヤー=サメット諸島海洋国立公園
カオ・サームローイヨート海洋国立公園
チャーン諸島海洋公園
チュンポーン諸島海洋公園
ナムトック・ターンサデット海洋国立公園
ハート・カノーム=南洋諸島海洋国立公園
ハート・ドゥワンコーン海洋国立公園
カオ・ラック=ラムルー海洋国立公園
カオ・ラムピー=ハート・ターイムアン海洋国立公園
シミラン諸島海洋国立公園
シリナート海洋国立公園
スリン諸島海洋国立公園
パヤーム諸島海洋国立公園
ラムナム・クラブリー海洋国立公園
レーム・ソーン海洋国立公園
サンタ諸島海洋国立公園
ターンボーコーラニー海洋国立公園
タルタオ諸島海洋国立公園
タレー・バン海洋国立公園
ハート・チャオマイ海洋国立公園
ハート・ノッパラットターラー=ピーピー諸島海洋国立公園
パンガー湾海洋国立公園
ペートラー海洋国立公園
クークット海鳥公園
タレーノーイ海鳥公園







