So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

チェンマイ検定

先日、タイ検定が行われたことにちなんでヤフーみんなの検定!の中に「チェンマイ検定」を作成しました合格点は6割以上です。未だに受験者19人と少ないので興味がある方はどしどし試してみてください。

チェンマイで資格を取ろう!

チェンマイにある有名なタイ料理学校

http://www.thaicookeryschool.com/

チェンマイでお勧めのタイマッサージスクール
http://www.loikrohmassage.com/jp/

チェンマイが舞台となった映画『プール』

プール.jpghttp://pool-movie.com/

<ストーリー>
4年前、祖母と娘・さよ(伽奈)のもとを離れ、母・京子(小林聡美)は、タイ・チェンマイの郊外にあるゲストハウスで働き始めた。大学卒業を目前に控えたさよは、そんな母を訪ねて一人、チェンマイ国際空港に降り立つ。迎えに現れたのは母ではなく、母の仕事を手伝う市尾(加瀬亮)だった。小さなプールがあるそのゲストハウスにはビー(シッティチャイ・コンピラ)というタイ人の少年と、不思議な空気感を持つオーナーの菊子(もたいまさこ)がいた。さよは久々に会った母が、初めて会う人たちと楽しそうに暮らしている姿をどうしても素直に受け入れることができず、戸惑いを感じるのだった。しかし、行方不明の母親に会いたいと思っているビーや、彼の母探しを手伝うがなかなかうまくいかない市尾、そして余命宣告を受けている菊子たちと接するうちに、さよは段々と心が開いていくのを感じ始めていた。4日目の夜、さよは、どうして自分を残してタイに行ってしまったのか、ずっと聞きたかった気持ちを素直に京子にぶつけてみる。キラキラ光るプールの水面に映るそれぞれの風景。好きな場所に住み、自由に生きている人たちとの素朴な心の交流の中で、やがて日本に帰るさよの思いはゆっくりと変わっていくのだった……。

タイ北部マップ

タイ北部マップ
http://www.asiatradingonline.com/bangkokmap8.htm
タイ北部にロングステイの方には必見!

チェンマイの市場

タニン市場     惣菜充実・日本人の利用が多い・食堂も充実  ラチャパット大学周辺

ムアンマイ市場   海鮮物充実・総合的に一番安いかも       チェンマイ市庁舎周辺

ワロロット市場   衣料品が充実・花屋もたくさんあります     ナイトバザール北側

トンパヨム市場   規模は小さい。惣菜も少ない          チェンマイ大学裏

サンパコイ市場   海鮮物は少ないが野菜は充実          カウィラ陸軍基地北側

チェンマイ門市場  夜になると屋台が多数出店 
         

千葉県にもある寝仏

18060_280_380.jpg
 
 主にタイの寺院などで見ることが出来る寝仏だ、足の裏には宇宙観を示す文様なども描かれている。地元の人間しか知らないかもしれませんが、館山にはとても大きい寝仏像のある不思議な場所があります。千葉県 館山市 常楽山萬徳寺には、体長16m、重さ30トンという巨大なお釈迦様が見える。青銅製では世界最大級らしいが、ワットポーの49mには及ばない大きさ。拝観料は500円と高めだ。

タイの駅

01.jpg
最近リニューアルされ近代化されたバンコク・ファランポーン駅

station_3.jpg
チェンマイ


hatyai2.jpg
タイ南部のハジャイ駅

singaporesta.jpg
シンガポール駅

タイの企業

その後、華僑は強固な郷党の力を生かし、農産物、流通、金融とタイの経済のほとんどを手中に入れていくことになる。
華僑が経済の中枢を担い、それが中国本土、香港、シンガポール、その他の地域と強い絆を持っている以上、タイ華僑の存在は決して無視できないものになっている。さらにタイという国の寛容性もピブンの一時期を除き、中国人に対しても自由な活動を許し、
タイで生まれたものはタイ人であるというフレキシブルな対応が、タイ華僑の活動を支えてきたといえる。

 一般にタイの華僑といってもその出身地によってグループ分けされ、これを郷党と称している。各郷党別に協会があり(潮州協会、海南協会、福建協会、客家協会など7協会)、その上にまとめ役としての中華総商会がある。これらの郷党は最初、反目しあい秘密結社化していたが、やがて相互補助組織へと発展していく。この互助組織が今日でも華僑社会において大きな役割を果たし、会員のそれぞれの利益の擁護、同郷者への職業の斡旋、ギルド的性格の職人組織を育むことになった。その結果、例えば精米業者の97%は潮州系、皮革業者の98%は客家系、洋服仕立屋の90%は客家系、レストランの50%は広東系といった郷党別の職業が色分けされていった。華僑の互助組織で我々が日常目にするものに、華僑報徳善道がある。交通事故などで救援活動や遺体の運搬にあたる潮州系の慈善事業団体がある。
 

 郷党による強い結びつきと相互補助がタイにおける華僑の靭さとなって、現代にいたっている。タイの経済は財閥によってリードされているといっても過言ではない。タイでは、20近い財閥が1,000社以上の会社を傘下においており、その内の80%が華僑グループによって占められている。王室系のサイアムセメント、ビールのブンロート、それに政府系のクルンタイ銀行グループ、タイ軍人銀行グループなどの例外を除いて財閥のオーナーは大半が華僑(国籍上はタイ)である。多くの財閥はいまなお特定の家族が所有と経営の双方を排他的に支配している、いわばファミリービジネスを特徴としている。


CPグループ

タイ最大というより、今や東南アジア最大のアグリビジネス・グループとして知られるCPグループ(チャルンポーカパン・グループ)は、1921年に謝易初によって設立された食品の貿易会社「正大荘行」が元々のスタートであったが、4男のタニン・チアラワーノン(謝国民)の近代経営によって急激な成長を遂げた。 飼料、ブロイラー、トウモロコシ、養鶏、養豚と飼料から食品加工まで一貫した合理システムと、タイ最初の多国籍企業の側面を持ち、中国への積極的な投資や日本企業との関連も深い。ミネベア、明治乳業、キューピー、武田薬品などと合弁、提携を結び、総合産業財閥としてゆるぎない地歩を固めている。


バンコク銀行グループ

東南アジア最大の商業銀行であるバンコク銀行は、伝説中の華僑チン・ソーポンパニット(陳弼臣)によって急成長したが、陳自身は資産に恵まれた華人の出ではなかった。6歳の時に中国の親戚のもとに預けられ苦労しながら小・中学校に通っている。17歳の時に父親が破産したのを契機にタイに帰国し、運搬船の雑役夫を経て、材木商に招かれ、抜群の才覚を発揮、支配人の地位を任された。29歳の時に貿易会社「亜洲貿易」を設立、金取引で莫大な利益を稼ぎ、1944年にバンコク銀行が設立された時に役員として参加、その時の従業員はわずか23名であったという。
 

1952年、バンコク銀行は不動産投機が失敗、総支配人の地位に就いた陳は、、政府や軍閥に接近し、政府事業への関与といった経済特権を取得して急速な発展を遂げていく。近代商業銀行への脱皮、海外事業の先駆的な展開(1955年には三井銀行の協力を得て東京に、同じく1970年には大阪に支店を設立)、マンモス銀行へと成長していった。その総資産額は、一説にはタイのGDPの5分の1にも達すると言われている。傘下企業のなかには、保険、ファイナンスなど金融関係が多いが、石油化学プロジェクトへの参加など、製造部門にも積極的に進出している。バムルンラード病院、シャングリラ・ホテル、世界日報などもグループの一員である。なお、陳は1988年に死去したが、その波乱に満ちた人生はタイのテレビドラマとしても取り上げられている。

ラムサムグループ

バンコク銀行に続くタイ第2位の銀行、カシコン銀行(元タイ農民銀行)を中心とするタイ最古(1901年)の名門財閥といわれているのがラムサム・グループである。ラムサム家は客家の出身であり、華僑の財閥のなかでは異色といえる。最初はチーク材の取引からスタートし、精米・ゴム・スズと業容を広げていく。1945年にタイ最初の客家系商業銀行であるタイ農民銀行を設立、1962年にバンチャーが支配人を務めるようになって飛躍的に成長した。ラムサン・グループは金融関係だけでなく、タイヤのファイヤストーン、コンデンスミルク、潤滑油のキャストロールなど異分野の進出も目覚しい。最近、カシコン銀行と改称したのも、新しい時代に向けて農業銀行の色合いを脱しようとする表れとみられる。


テチャパイブーン・グループ

銀行系の財閥にはテチャパイブーン・グループもあり、その中核はメトロポリタン銀行(京華銀行)。創設者はウテン・テチャパイブーン(鄭午楼)で、22歳の若さで慈善団体、報徳善道の会長に就任し、1950年に京華銀行を設立している。この財閥にはメコンウィスキーも含まれている。酒の製造・販売は酒税という利権にもつながり、テチャパイブーン・グループは政界との強固な結びつきで成長してきた。


サハグループ

ライオンの洗剤、歯磨き、ピアスの化粧品、ワコールの下着、イトキンの婦人衣料、アンネの生理用品、ホヤの眼鏡用ガラス、コニカのコピー機、明星のラーメン、ロッテの菓子、ミズノのシューズ、キューピーのマヨネーズ、など日本の消費財を幅広く製造・販売しているのがサハ・グループである。ティアム・チョークワッタナー(李興添)を総帥とした新興財閥(設立は1942年)で、雑貨輸入、砂糖・粉ミルクの販売を経て、1962年にライオン油脂と合弁後大成功を収めた。李も、その成功前の苦労が伝説になってる一人である。10代の始めから叔父の経営する雑貨商で手伝い、1日12時間、3日間の正月休み以外は年中無休という苛烈な仕事を20歳まで体験している。李の特質は、時代の流れを敏感・的確に見ることにあり、タイの生活消費財の成長を洞察するとともに、イメージ戦略など斬新な広告戦略を打ち出していった。現在では、工業団地などの投資事業、輸出向けハイテク産業、農産加工物など総合化を目指している。


サハユニオングループ

サハユニオン・グループの設立者ダムリーダラカーノン(陳如竹)は、サハ・グループの総帥ティアムと姉が結婚したこともあって最初はサハ・グループに属していたが1961年に日本の吉田工業との合弁会社を設立、独立している。その後、主としてガーメント製品の分野に次々と進出、プラスチック成型、金型製造に事業を拡大している。最近ではナイキのOEM生産で有名である。ダムリーは、従来の華僑のファミリー・ビジネスの弊害を排除し、持ち株会社の設立、人材の他からの登用(元首相のアナーンなど)、傘下企業の資本関係の清算など思い切った手段をこうじている。そのためにトラブルも多く、吉田工業など外国企業パートナーとも袂を分かっていくことになる。サハユニオン・グループはタイの財閥の中では珍しく60歳定年制を採用、伝統的な華僑の家族主義に挑戦している。


タイの華僑

タイの華僑は強固な連帯感と柔軟な対応でタイの経済を左右している。
タイと中国との歴史は古い。スコタイ王朝が成立した13世紀半ばにはすでにマレー半島のチュンポン、スラタニー、ナコンシタマラートに中国人の港があったという。16世紀後半には、広東、福建を荒らしまわっていた海賊・林道乾がパタニを攻略し、その地の王侯となった。アユタヤ時代にはタイ全土に1万人の中国人が住んでいたとされている。しかし南中国からの移民が増大するのは1645年に清朝が成立してからで、広東、潮州、福建の華人が定住するようになる。

当時の華僑は優遇されていて、官吏に登用されたり、王室貿易に参与し、地位も恵まれていた。しかし、アユタヤ王朝は1766年にビルマの侵攻に合い、陥落するが、このときにタイを救ったのがタクシン王であり潮州系を中心とした華僑であった。 後にトンブリ王朝を開いたタクシン王の父は潮州の華僑で母はタイ人である。タクシンがカンペンペットの国主となった時にビルマ軍と戦いアユタヤ陥落の後、ラヨンまで逃げ落ち、そこで潮州人を中心とする中国人部隊により軍を再編成してビルマ軍を打ち破った。さらにトンブリに王朝を開き、華僑の力を借りて新たな王朝を建設、チャオプラヤ川の岸側に一大華僑地区を作り、新王国の基盤を強化した。ここに定着した潮州人は中国から郷党を誘致し華僑の中核体となっていった。シンガポールやマレーシアは、広東系、福建系が多いのに対し、タイに潮州系が多いのはこのときの優遇措置による。
 
チャクリ王朝に代わって現王朝のラマ1世はバンコクに首都を移し、中国人マーケットの中心はサンペン(現ヤワラート)に移動、ラマ1世はタクシンと同じように首都建設を華僑の力に依存し、バンコクは潮州系華僑によって固められた。
 

潮州人は伝統的に農業栽培に長けており、19世紀前半より南中国の人口増加と天災・飢饉の事情が重なり、潮州人を中心とするおびただしい中国移民が流入した。ラマ3世のころから、中国人は運河の建設などに多く用いられるようになる。それは中国人の方が勤勉であったのと、
タイの当時の農奴は国内の移動が自由でなく地方からバンコクに流入してくる数に制限があったためでもある。このためバンコクは移民華僑で膨れ上がり、
当時のバンコク人口(約7万人)の4分の3は華僑で占められるようになった。
 
ラマ4世、ラマ5世の時代もタイ政府の方針は華僑に好意的であり、華僑は優遇され、王国の重要な位階に就くこともしばしばであった。
また、この頃よりタイ・エリートたちとの職業分担がはっきりし、華僑が経済力を握るようになっていく。
 
しかし、1930年代に日本の中国侵略が進む中,タイでもピブン内閣が徹底した華僑タイ化政策・封じ込め政策を断行した。華僑の大量検挙、国外追放が行われ、華僑の受難時代は戦後を経て、1955年のバンドン会議によって華僑政策が民主化されるまで続くことになるのである。

私のバンコクの楽しみ方

ヨックヨー船上レストラン
ラオス料理ヴィエンチャンでカエル料理を食べる
スアンルアン市場で食べ歩き
バンランプー市場で安物買い
ムアンボラーンでタイ全国旅行
スコータイホテルでケーキの食べ放題
バイヨークスカイホテルで夜景を見る
ノボテルの地下でカラオケパーティー
スクンビットソイ1でイスラエル料理を味あう
ムアンポンのレストランで名物カオトムを食べる
バイクタクシーで待ち合わせ
センセープ運河をボートで移動
カリプソでおかまショー
有馬温泉で足の裏マッサージ
サクソフォンでジャズを満喫
バンコクハードロックカフェで踊る
マーブンクロンで涼む
モーラムのコンサート鑑賞


前の10件 | -
メッセージを送る

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。